岸田家にとって「政治家は家業」同然…外遊先で“観光三昧”の「翔太郎秘書官」を待ち受ける苦難

国内 政治

  • ブックマーク

当選後は苦難の日々!?

 早大卒業後は日本長期信用銀行に入行し、1987年に退行。衆議院議員だった父親の秘書となった。

「岸田家の歴史を振り返ると、岸田首相は30代で父親の秘書を務め、同じことを翔太郎さんにもさせていることが分かります。ただ、岸田首相は父親の秘書でしたが、翔太郎さんは特別職国家公務員である公設第二秘書から国家公務員である首相秘書官に“ステップアップ”してしまいました。当然ながら、有権者の見る目は厳しいものになります。それが今回、多くの批判を集めている理由でしょう」(同・記者)

 岸田首相が旧広島1区から出馬し、初当選を果たしたのは1993年の総選挙だった。

「同じように翔太郎さんも、いつか父親の後継者として立候補するわけです。何しろ“政治は家業”ですから、難なく当選するのでしょう。しかし、当選したからといってバラ色の議員人生が待ち構えているはずもありません。秘書官の時とは比べものにならないほど有権者は翔太郎さんの行動をチェックするはずです」(同・記者)

 現職の衆議院議員で政治家一家の4代目といえば、元環境大臣の小泉進次郎氏(41)がいる。翔太郎氏の未来を占う上で、小泉氏の“政治家人生”は参考になるという。

“雑巾がけ”の日々

「全身に入れ墨を入れていたことで知られる又次郎(1865~1951)、防衛庁長官を務めた純也(1904~1969)、首相を務めた純一郎(81)、その地盤を受け継いだ進次郎氏は小泉家としては4代目の国会議員です。当初は“自民党の若きホープ”として高い人気を誇っていましたが、失言などが相次ぎ、かつてほどの勢いはありません。今は国対副委員長で、いわば“雑巾がけからやり直している”状態です」(同・記者)

 進次郎氏のケースを見れば明らかなように、有権者の目は厳しい。正直言って、国会議員を目指すのは諦めたほうがいいだろう。

註:岸田総理の長男・翔太郎氏が父の外遊先パリ、ロンドンで“観光三昧” 異例の親バカに元首相秘書官は「観光に行く暇などない」と一喝(デイリー新潮:1月31日)

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。