現代アートの芸術祭は地域をどう開いていったか――北川フラム(アートディレクター)【佐藤優の頂上対決】

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 この20年ほどの間に、過疎地域や離島で行われる大掛かりな現代美術の祭典がすっかり定着した。国際的に著名な作家らが広範な地域に作品を設置し、観客は数十万人にも及ぶ。成功の秘訣(ひけつ)は何なのか。そこには作家と地域住民を結びつけるボランティア・サポーターたちの地道な取り組みがあった。

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佐藤 昨年は、北川さんが手掛ける大きな芸術祭が二つ開催されました。「越後妻有(つまり) 大地の芸術祭2022」と「瀬戸内国際芸術祭2022」です。

北川 「越後妻有」は、2000年から3年ごとに開催していましたが、第8回はコロナ禍で1年延びてしまったんですね。そのため、これも3年ごとに開かれている「瀬戸内」の方と同じ、2022年の開催になりました。

佐藤 まだコロナ禍が続く中での開催でしたが、いかがでしたか。

北川 「越後妻有」は57万4138人が訪れ、前回の54万8380人を超えました。一方、「瀬戸内」は72万3316人。前回の117万8484人には及びませんでしたが、第7波の中で行われたことを考えれば、大勢の方々に来ていただいたと思っています。

佐藤 ともに会期が100日以上に及ぶとはいえ、すごい数ですね。「越後妻有」は、約760平方キロという東京23区より広い地域で作品を分散展示していますが、ここが北川さんの原点となる芸術祭ですね。

北川 ええ。開催地のある新潟県は1994年に「ニューにいがた里創(りそう)プラン」という政策を打ち出しました。市町村を14の広域行政圏に分け、それぞれに中心地を置く。そして広域行政圏独自の魅力を再構築し、地域住民もそれに参画していく、というプランでした。

佐藤 平成の大合併が1999年以降ですから、それよりかなり早い。

北川 そうですね。現在、越後妻有と呼んでいる十日町市、川西町、中里村、津南町、松代町、松之山町の六つの市町村(当時)で構成される十日町広域行政圏は、その里創プランで第1号指定を受けた地域になります。

佐藤 場所は、新潟県の長野県寄りの山間地ですね。

北川 ちょうど本州を東西に分けるフォッサマグナ上に位置しています。信濃川の中流域で、日本海までは約100キロです。一部は越後平野にかかる泥田地ですが、山側は褶曲(しゅうきょく)、断層構造を見せる複雑な地形で、そこに棚田を作って暮らしています。

佐藤 豪雪地帯だと聞きました。

北川 平均積雪は2.4メートル、標高の高い集落では4メートルを超すことも珍しくないですね。全体で200ほどの集落があり、それぞれ背景が違います。棚田で有名な「星峠」という集落は、約440年前に織田信長に追われた一向宗の門徒たちが逃れてきた場所ですし、「小白倉」には平家の落人伝説がある。また「鉢」という集落は全員が尾身姓で、苧(お)というカラムシの繊維を紡いで糸にすることを生業にした人たちが、古い時代に住みついたとされています。

佐藤 何百年と積み重ねられてきた歴史がある。

北川 ただ、相当に貧しい。もちろん過疎地域で、少子高齢化が進み、農業の後継者がなく、そして行政の財政は逼迫(ひっぱく)していました。

佐藤 だから市町村をひとまとめにしようとした。

北川 私に新潟県から声が掛かったのは1995年のことです。十日町版「里創プラン」の運営委員を任せたいということでした。それまでもこの地域には美術館や博物館などの構想があり、広告会社やコンサルティング会社が「イベントを一回やって終わり」の企画を持ってきたこともありました。

佐藤 一つはハコモノだし、もう一つも長期的な地域おこしにはつながらない。

北川 新潟県は過去のハコモノ行政を反省し、ソフト事業優先の地域づくりを考えていた。それで彼らから「アートによる地域づくり、つまり美術館以外の広場や道路など、公共空間を使ったパブリックアートも一つの要素としてあってもいいのではないか」と言われたんですね。

佐藤 当初から県がアートに照準を定めていた。

北川 そこでアートを媒介として6市町村をつなぐ「アートネックレス整備事業」が生まれました。これは「越後妻有8万人のステキ発見」という写真コンテスト、その地域の道路に花を植える「花の道」、そして6市町村それぞれが拠点を作る「ステージ整備事業」の三つからなり、それらを統合、発展させたのが「大地の芸術祭」です。

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