夕食時に「鮭かなんかない?」と言ってしまったばかりに…アラフィフ夫を苦しめる14歳年下妻の“逆DV”と計画的離婚調停
夕飯を作らなくなった妻
産後2ヶ月ほどたったころ、疲れ切った恭司さんが夜中、子どもの泣き声にも起きられなかったときのことだ。いきなり頭に強烈な衝撃があった。目を開けると、郁美さんがおもちゃのバットを持って立っていた。
「深夜のミルクはあんたの担当でしょ! とすごい勢いで怒鳴られたんです。いくらおもちゃのバットだって頭を殴られれば痛い。殴ることはないだろうと大ゲンカになりましたが、とにかく早く子どもを泣き止ませなければと、ミルク作りを急ぎました」
それを機会に、ときどき妻の暴力や罵倒、嫌がらせが起こるようになった。何がきっかけでスイッチが入るかはわからない。圧倒的に多いのは嫌がらせで、子どもが大きくなるにつれて恭司さんの夕飯がなくなった。
「離乳食から普通食へ移行していくうち、子どもの好きなものが多くなった。うっかり『鮭かなんかないかな』と言ったのが妻の逆鱗に触れました。『食べたいなら自分で焼きなさいよ』と言われたんです。それきり妻は僕の夕飯は作らなくなりました。話し合おうと思ったけど、怖くて話せない。それなのに第二子もできてしまった。ここだけの話ですが、出産後、妻は性欲が強くなりました。迫られることが増え、断ると怒るからがんばったんです。それでも僕はこの状態なら子どもはひとりでいいと思っていたから避妊していた。あるとき妻が急に優しい口調で、『今日は大丈夫だから』と言い出して油断してしまったんです」
妻はいつも怖いわけではない。急に依存するように甘えたり、かと思うと彼を無視したりする。恭司さんは常に妻の顔色をうかがうようになっていった。
第二子が生まれたばかりのころも、妻の精神状態は不安定で、彼はたびたび役所に相談に行ったという。地域の保育ママ制度を利用して数時間、子どもたちを預かってもらったり、時にはベビーシッターを頼んだりして、なんとか妻の負担を軽くするよう腐心した。
浮気を疑い出した妻
あるとき、郁美さんのことを進言してくれた同期の女性・由佳里さんと帰り道が一緒になり、つい「軽く一杯やらない?」と誘った。そして由佳里さんが言ってくれたことは本当だった、郁美には困惑していると愚痴を言ってしまった。
「やっぱり……と彼女はため息をつきました。彼女は、男の前と女の前で言動が変わる典型的な同性に嫌われるタイプだった、と。『おそらくあなた、狙われたのよ』と言うんですよ。年齢も離れていたからそれなりに収入はあるし、若い女性にはどうしたって甘くなる。だから郁美は、僕なら簡単に結婚に持ち込めると思っていたのではないか、と。まさかと笑ったら、当時同じように派遣で来ていた女性に、郁美が僕のことを『あいつは簡単に落とせる』と言っていた。その派遣女性から聞いたと言うんです。『又聞きだから、あなたに言うのもどうかと思って言わなかったけど』って。郁美は、とにかく専業主婦になりたかったみたいです。仕事はテキパキやっていたのになとつぶやくと、由佳里さんが『あれは社員がフォローしてたから』と。それにも驚きました。社員が手伝ってできた資料を、あたかも自分ひとりで作ったように僕には言っていたから」
それ以来、恭司さんはときどき由佳里さんに相談に乗ってもらったり愚痴を言ったりするようになった。だが、郁美さんはそんな夫の変化に気づいたようだ。
「あるとき帰ると、玄関で待ち構えていた郁美に、いきなりビンタされたんです。何するんだよと言ったら、『由佳里って誰よ!』と。同期だよと言ったら、浮気してるんでしょとまた殴りかかってきた。いいかげんにしろよと彼女の両手をつかんだら『痛い』と大騒ぎ。下の子が泣き出したので、うやむやになりましたが、そういうことが何度も続いた」
そのたびに「浮気などしていない。彼女とは同期として友人関係にあるだけ」と説明したが、郁美さんは納得しない。彼女から慰謝料をぶんどってやると息巻いたこともある。やましいことのない恭司さんは、ふだん通りに妻を刺激しないよう暮らしていくしかなかった。
「それでも妻は近所やママ友とは、ごく普通につきあっていたようです。片鱗が見えることはあるのかもしれないけど、それほど長い時間一緒にいるような関係の人はいなかった。だからメンタル的におかしいというほどではない。ただ、僕に対してだけは甘えたり威圧したりと変化が激しかったですね」
恭司さんは一度、郁美さんの母親に連絡をとったことがある。彼女がどういう生育歴にあるのか知りたかったのだ。だが母親は、「あの子のことはあまり話したくない」と言うばかり。それでもと頼み込むと、「あの子が10歳のころに私は離婚したんです。その3年後に再婚したら、あの子は中学生なのに私の再婚相手を誘惑しようとした。夫が怖がっていたことがありました」と言われた。郁美さんの心には何かが欠けているとわかった恭司さんは、なるべく優しく接するよう心がけた。
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