夕食時に「鮭かなんかない?」と言ってしまったばかりに…アラフィフ夫を苦しめる14歳年下妻の“逆DV”と計画的離婚調停
侠気を発揮する男性は、だいたい「女性を見る目」がない…
3ヶ月後、彼女の妊娠がわかったタイミングで婚姻届を提出、会社にもその旨を届け出た。相手の名前から「派遣で来ていた人だよね」とすぐに情報が飛び交ったという。
「なんとなく周りからはあまり祝福されていない気がしました。同期の女性から『あの子、評判悪かったけど大丈夫?』と言われたんです。仕事はできたけど、人間関係でいろいろ揉めていたと。僕はちっとも気づいていなかった。とはいえ、職場の人間関係はいろいろあるだろうし、彼女がもめごとを起こすようにも思えなかった。それが僕の人を見る目のなさを証明していたようなものですが……」
結婚式も特にせず、新婚生活に入った。郁美さんは親には自分から報告しておくと言い、彼に会わせようとはしなかった。彼は遠方の両親と妹夫婦を呼んで食事会という形で、妻を紹介した。
「その後、妹から連絡があって『あの人、大丈夫?』と。何がと言ったら、『なんだか表情に険がある。同性には嫌われるタイプだよ』って。そういえば同期の女性も評判が悪いと言っていたしと気にはなりましたが、一緒に生活するのは僕自身。どこにも居場所のない郁美を救えるのは僕しかいない。年も離れているし、おおらかに彼女を見守ろうと決めました」
こういうときに侠気を発揮する男性は、だいたい「女性を見る目」がないのだ。そもそも、一緒に仕事をしていたとはいえ、彼は郁美さんを「女性として」見ていたわけではない。すべてが初めてふたりきりで食事をした夜に始まったことで、それまで人間性を探ったこともなかった相手なのだ。そんな人と数ヶ月で決まったスピード婚だった。自分なら彼女を受け入れることができる。彼はそう思っていたという。
その後はつわりがひどい、体がだるいと訴える彼女のために彼は尽くした。家事もほとんど恭司さんがこなし、夜は妻の体をマッサージした。安定期に入って妻が元気になっていくのと比例して、恭司さんは痩せていった。
母までも「怖いのよ、あの人」
恭司さんの献身的な世話のもと、元気な男の子が誕生、40歳にして自分の手で子どもを抱き、彼は涙をこぼして妻を労った。そのときは妻も幸せそうに微笑んでいた。
「退院して家に戻ったとき、郁美は親に頼れないから、僕の母親が来てくれたんです。ところが母が日増しにやつれていった。何かあったのかと聞いても母は何も言わない。そこである日、こっそり早退してみると、妻は留守だった」
「母に聞くと、産後3週間くらいから急に妻が出かけるようになったというんです。それほど長い時間というわけではない。美容院とかデパートとか、その程度だと思うと。息抜きしたかったんでしょうか。母は新生児の世話や家事でくたくただったけど、郁美には何も言えなかった。『怖いのよ、あの人』と母がため息をつきました。何度も聞いたらやっと、『私が、赤ちゃんにはこうしたほうがいいかもしれないよと遠慮がちに言っても、よけいな口は挟まないでくださいと切り口上で答える。それ以上言おうものなら、じいっと睨むんだよね』と。結婚したとき、妹が『あの人、大丈夫?』と言ったのは正しかった 。それでも母は何とか1ヶ月と少し、うちにいてくれました」
母がいなくなると、郁美さんはとたんに恭司さんに甘えはじめた。育休をとれないのか、とれないならしばらくの間、定時で帰ってほしい。「ひとりでいると不安でたまらないの」という彼女に、またも恭司さんの侠気が発令されてしまう。
「会社に話して、残業はあまりせずに帰れるようにしてもらいました。『年がいってからの育児は大変で』と冗談まじりに周りにも説明、代わりに朝、なるべく早く出社してみんなに迷惑をかけないようがんばったんです」
それでも昼間、郁美さんからはたびたびメッセージがやってきた。「ミルクをあまり飲まない」「もう私、この子をかわいいと思えない」など。そのたび彼は電話をして妻をなだめ、励ました。
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