草野球から“奇跡の復活”、「元ドラ1」野中徹博が歩んだ「不屈の野球人生」

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「打たれる恐怖、四球を出す恐怖を持つな」

 だが、星野仙一監督時代の96年は、登板3試合と出番が激減し、オフに2度目の戦力外通告を受けてしまう。翌97年、「これが本当の最後の最後」とヤクルトの入団テストを受け、“野村再生工場”でラストチャンスを貰った。

 同年5月27日の横浜戦。0対2の5回2死一、二塁からリリーフした野中だったが、最初の打者・ローズに四球を与え、満塁とピンチを広げてしまう。そのとき、ユマキャンプで野村克也監督が口にした言葉が脳裏に浮かんできた。

「打たれる恐怖、四球を出す恐怖を持つな」。阪急時代にも味わった“恐怖”を瞬時に払拭した野中は、次打者・駒田徳広を左飛に打ち取り、ピンチを切り抜けると、3対2と逆転した直後の7回も無失点で抑え、ドラフト指名から14年後のNPB初勝利を手にした。

「今日は全員から貰った勝ち星です。つらかったのは、(阪急退団後)野球がしたくてもできなかったこと。これ以外の苦しみはなかった」と感涙にむせびながら、波乱万丈の野球人生を振り返った32歳の遅咲きヒーローは、同年44試合に登板し、チームの優勝、日本一に貢献した。

 NPB通算2勝5敗4セーブで現役引退後、2018年に甲子園出場を目標に出雲西高野球部監督に就任。翌19年秋の中国大会では8強入りをはたしている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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