“破格の条件”で入団もアッと言う間にクビに…早々と退団した「ドラ1列伝」
“おんぶスクワット”で半月板を損傷
88年、新球団・ダイエー(現・ソフトバンク)の「ドラ1第1号」になりながら、わずか3年でユニホームを脱いだのが、篠田淳(大垣商)である。
夏の甲子園大会3回戦で、津久見の川崎憲次郎(元ヤクルト、中日)と壮絶な投げ合いを演じ、0対1と惜敗も、「大会ナンバーワン左腕」と注目された篠田は、中島輝士(プリンスホテル)の競合抽選で日本ハムに敗れたダイエーに「外れ1位」で指名された。
「やるからには1年目から1軍でやりたい。ストレートにもっと伸びをつけて、速球で三振を取れる投手になりたい」と力強く語ったダイエー1期生だったが、入団早々、コーチから膝の弱さに起因するフォームの癖を直すよう、改造を命じられたことが、アダとなる。6月には、膝の強化を目的とする“おんぶスクワット”をしていたときに半月板を損傷してしまう。
さらに慣れないフォームで投げつづけているうちに、今度は肩を痛め、3年間1軍登板のないまま、91年オフ、戦力外通告を受けた。その後、地元・中日のテストを受けたが、全力投球した直後、肩が完全に壊れて、すべてが終わった。
現役引退後、親会社のダイエーに再就職した篠田は「どうせダメだったのかもしれないけど、1年でいいから(高校時代の)自分のフォームで投げて、そのうえで結果を見てほしかった」(週刊ベースボール1998年12月7日号)と回想している。
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