梨泰院雑踏事故から3カ月  「韓国人記者」が明石歩道橋事故を直接取材 遺族宅で目にした「絶対に忘れられない」光景とは

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遺族によっても異なる思い

 午後からは母のトミコさん(当時75歳)を亡くした白井義道さん(62)を取材した。

 白井さんは「私の許可もないうちに、検視のため母の髪の毛がすべて剃られてしまい衝撃を受けた」と打ち明けた。

「想の像」にトミコさんの名前を刻まなかった理由についてジョン記者が単刀直入に質問すると、白井さんは「母が可哀そうな人というようにだけ見られるのが嫌だった」と答えた。父を早くに失った白井さんを、美容師だったトミコさんが苦労して育ててくれた。

「子どもさんを亡くした人とはまた違う、親を亡くした人の悲しみを感じることができました」(ジョン記者)

 メディアは「遺族」という言葉で一括りにしてしまうが、当然ながらそれぞれの思いは違う。白井さんは「海外から取材に来てくれたお礼」と言って、私も含め記者らに食事をご馳走してくださった。

 翌4日は、当時9歳の千晴さんと7歳の大ちゃんの2人を失った有馬正春(63)・友起子さん (52)夫妻のご自宅へ伺った。正月早々にもかかわらず、記者らの要望で自宅での取材を快く受け入れてくださった。

「自分は中傷とかはされなかったけど、危ない所に子供を連れて行くのが悪いと言う人もいた。誰も事故に遭うと思って花火大会になんかに行かない。誰にでも起きることなんです」と有馬さんは再発防止を訴えた。

 シン写真記者は「娘さんが作った小物入れなどを今も大事においていたのが印象的だった」と話す。

 ジョン記者は、正春さんのご両親の遺影の隣に千晴ちゃんと大ちゃんの写真が並んでいる光景が「絶対に忘れられない」と言う。

 さらに「千晴ちゃんと大ちゃんが作ったティシューケースと小物入れを、20年間、毎日使っていらっしゃるそうで、生地がすれて毛羽立っていました。正春さんが韓国のご遺族たちに『前を向いて頑張ってくださいと伝えてほしい』と託してくださった言葉や、友起子さんの『記者の皆さんがご遺族の方々のお話をきいてくださいね』とおっしゃってくださったことを聞いて泣いてしまいました」と振り返った。

主催者の有無という違い

 翌日には遺族を支援してきた佐藤健宗弁護士の事務所を訪ねた。

 歩道橋事故では、明石市の職員と明石警察署の署員らが業務上過失致死傷で有罪となった。一方、明石警察署の署長、副署長らは不起訴だった。遺族らは起訴を求め、検察審査会に申し立て、そのたびに起訴相当となったが、神戸地検は4度不起訴を繰り返した。ところが、検察審査会法の改正により2度の起訴相当の議決で強制起訴が可能となり 、明石歩道橋事故がその第1号として署長らが起訴された。しかし、裁判では結局、時効の壁などで有罪にはならなかった 。

 佐藤弁護士は2つの事故の違いについて「歩道橋事故は花火大会なので主催者は明石市だが、韓国はハローウィンで自然発生的に集まり主催者がいない。日本では雑踏警備の責任は警察です」と話した。

「当時、明石署長は『署で歩道橋の様子を見ていたモニターのビデオテープはない』などと言いましたが、隠したのでしょう。遺族らは、やれるだけのことはしたが途中で署長が亡くなり、副署長は『補佐役、助言役でしかなかった』と責任を署長に押し付け逃げた。残念だった」と振り返った。

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