人口世界一になるインドの企み 目障りなライバル中国と大規模軍事衝突も

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かつての蜜月も…

 犬猿の仲になりつつある両国だが、かつては蜜月関係にあった。

 東西冷戦下の1955年4月、アジア・アフリカの29カ国・地域の代表が集い、インドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)で主導的な役割を演じたのは、インドのネルー、中国の周恩来の両首相だった。

 ネルー氏らは経済力で見劣りする新興国が米ソ間の対立に巻き込まれないよう中立を目指す「非同盟主義」を掲げ、「第3世界」の結集を呼びかけた。

 その後、1961年に国際組織「非同盟運動」が設立され、1960年代半ばに2回目の会議が予定されていたが、開催されることはなかった。

 中国が1962年、インドとの信頼関係を裏切り、緩衝国だったチベットを併合した上、インド領に侵攻したことで、両国間で大規模な軍事紛争が起きてしまったからだ。

 敗戦の憂き目に遭ったインドでは「独立の立役者ネルーが中国の最高指導者毛沢東に安易に接近したことが大きな間違いだった」と語り継がれている。

 バンドン会議参加国の当時のGDPは世界の2割程度にとどまっていたが、現在では中国のGDPだけで世界の2割を占め、インドも「第2の中国」として注目されている。

 バンドン会議から半世紀以上の月日が流れ、念願とも言える「強い第3世界」が誕生したのだが、国力を増強させたインドが中国への敵愾心を強め、両国関係は近年になく悪化しているように思えてならない。

 グローバルサウスを巡る中印間の覇権争いが、両国間の大規模紛争の火種になる可能性は排除できなくなっているのではないだろうか。

藤和彦
経済産業研究所コンサルティングフェロー。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)。

デイリー新潮編集部

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