「僕は母に愛されなかった。だから妻との間には…」 2度の不倫・再婚を“毒親”のせいにする50歳男性の苦悩

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雅史さんを支配しようとした母

 翌日から彼が、クラスメートからどんな扱いを受けたかは想像に難くない。マザコンとからかわれ、友だちが別の友だちを抱きかかえる真似までされた。かっこ悪いし恥ずかしかっただろうけれど、それは「愛されていた」エピソードではないだろうか。

「でもそんなことをしたら、あとで僕が周りからどう思われるか……。そこをわかっていない。だって僕、膝をすりむいただけですよ。10歳になっているのだから、僕が立ち上がって走り出すのを待つか、立てないようであれば学校側に任せるでしょう。自分が飛び出してきて、そのまま家に連れ帰るなんて、愛ではないと僕は思う。愛に見せかけた支配でしかない」

 確かにそうだろうけれど、今となれば、それは母なりの愛だったと受け止めることはできないのだろうか。

「思い返すといろいろあるんですよね。中学生のころ、部活の帰りに学校近くのパン屋でみんなと一緒にパンを買い食いするのが流行ったんです。母はそれを知って学校まで迎えに来るわけ。それでみんなに自分が作ったパンを配る。でもそれがあまりおいしくないから、みんな受け取らなくなっていった。そうしたら今度はひとりに200円ずつ配りだした。意味がわからないでしょ。買い食いがいけないという信念があったのかと思ったけど、どうやらそうではない。母は結局、僕がみんなから嫌われないようにしたかったみたいなんですが、親がそんなことするほうがよほど嫌われる。『おまえのお母さん、大丈夫か?』と言われましたから。みんな気味悪がって、お金は受け取りませんでしたよ。『いいかげんにしろよ』と家で怒鳴ったこともあります」

 かと思うと、母は突然、プチ家出をすることもあった。中学の修学旅行前夜、母がいなくなって大騒ぎとなった。父親が「おまえは修学旅行に行け」と言ってくれたので出かけたが、途中で家に電話をしてみると母親が出た。何やってるのと言ったら、「あら、修学旅行だったのね」と。 あとから、自分がいなくなれば雅史さんが修学旅行には行かないと思ったようだ。彼曰く「息子の愛を試したんじゃないですか。それ、親がやること?」。母は精神的に不安定だったようだ。

「僕は確信犯だと思っていますけどね。僕を支配するつもりで、結局は自分の存在感を家族や周囲の人に知らしめたかったんだろう、と」

 あなたが大事と言いながら、料理下手を克服しようとしなかったから家での夕食はろくなものがなかったと彼は言う。ごはんに買ってきた惣菜、インスタント味噌汁が定番。高校生になった姉の料理がおいしかったので、姉がいるときはいつも作ってもらった。そうすると母は上機嫌になって姉に甘える。姉は高校を出ると就職し、さっさと家を出て行った。

「姉がいなくなると母は全力で僕によりかかってきた。依存体質なんでしょうね。父はときどきしか帰ってこなかったから寂しかったのかもしれないけど。ある夏の日、部活を終えて帰宅、汗だくだったのでお風呂に入っていたら、覗きに来たんですよ。『ねえねえ、背中流してあげようか』と。気持ちが悪いことを言うなと怒鳴りました。風呂から出ると母はふて寝していた。近所の定食屋に行ってひとりでご飯を食べました。帰ると母が、ご飯炊いたから食べようというので、もう食べてきたと言ったら今度は『あんたは冷たい』と泣く。でも反応しないとすぐ泣き止む」

 父はすでに母にはかまわなくなっていたから、雅史さんは夫代わりにさせられていたのかもしれない。

 雅史さんは今も、幼なじみとつきあいがある。彼にいわせれば「少し過保護だけど、雅史は愛されていると思っていた。お母さんの自慢の息子だったはず」と言う。だが雅史さんに聞く些細なエピソードは、積み重なれば確かにうっとうしいものばかり。彼の母親への複雑な感情もわからなくはない。

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