「僕は母に愛されなかった。だから妻との間には…」 2度の不倫・再婚を“毒親”のせいにする50歳男性の苦悩
毒親という言葉が市民権を得たのは2010年代頃からだ。広く「子どもにとって毒になる親」を指すが、これは育てられた子ども側からの言い分だ。身体的暴力やネグレクト(育児放棄)は論外だが、「毒親」には虐待とは少し違うニュアンスがある。
親としては子どものためにできる限りのことをしたつもりであっても、それが子の望む愛情とはかけ離れているとき、子の立場で心を埋めてくれるような愛情をもらえなかったとき、子は親を「毒親」と断罪するのかもしれない。
男女問題を30年近く取材し『不倫の恋で苦しむ男たち』などの著作があるライターの亀山早苗氏が今回話を聞いた男性も、自らの不倫と再婚の原因を「毒親」だったという母に求めているのだが……。
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「僕は愛されてなかったと思う。ネグレクトだったとさえ感じる」
飲むとそんなぼやきを繰り出すのは、小峰雅史さん、(50歳・仮名=以下同)だ。2年前に3回目の結婚をしたのだが、それもあまりうまくいっていないらしい。結婚がうまくいかないのは、親の影響だと彼は考えている。自分のような子どもを作らないようにという思いが強かったため、子どもはいない。
「母親はものすごく干渉してくるタイプでしたね。父にはときどき『おまえはお母さんの言いなりすぎる。もっとしっかり自分の意見をもて』と言われましたが、子どもの頃は『お父さんがお母さんを大事にしないから、僕がかばっているんだ』と思っていた。うちの両親、夫婦仲が悪かったんですよ。言い争いが絶えないほうがマシ。うちは常に冷戦でした。親同士がほとんど言葉を交わさない。母は僕を介して父と話し、父は姉を介して母と話す。そんな感じでしたね」
3歳年上の姉は、母に愛されていないと感じていたようだ。だがどこでどう気持ちを転換したのか、30歳で結婚すると4人の子の母となった。夫とも言いたいことを言い合い、今も家族6人で暮らしている。
「姉の家に行くと疲れます(笑)。21歳を筆頭に、18歳の双子、15歳の子がいて、みんなが常にしゃべっている。義兄は大雑把な明るい人で、自分の子どもだけでも大変なのに、近所の子もまとめてめんどうみちゃうようなタイプ。親から継いだ商店を経営しているんですが、店の片隅に子どもの居場所みたいなものを作っていて、姉も夕飯時になるとたくさんおにぎりを作ってやって来る。姪や甥が小さいときは、そこで家族でよく簡素な夕飯をとっていましたよ。だけどにぎやかなの(笑)。僕はよく姉に『貧乏人の子だくさんって本当だな』と言ってましたが、姉は『バカね。家族ほど楽しいものはないわよ。あんたはそういう幸福を自ら捨てたんだから』と。そうかもしれないなと今になると思います」
雅史さんの記憶に残っているのは、母がよく泣いていたことだ。それも自分のことで。母を泣かせる自分が嫌いだった。とはいえ、母は雅史さんのテストの点が前学期より5点落ちたというだけで泣くのだ。
「私はあなたのためだけに生きている。あなたに何かあったら私は死ぬ。それが母の口癖でした。僕は怖くて自分の足で踏み出すことができなかった。小学校4年生のとき、運動会の徒競走で僕、転んだんですよ。母は保護者席から飛び出してきて僕を抱き起こした。みんな呆然としていました。そして母はそのまま僕を抱きかかえて連れ帰ったんです。転んだだけなのに」
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