サヨナラホームランで監督が「ワシをおぶっていけ!」 昭和のプロ野球で本当にあった“嘘みたいな話”3選
劇的な代打サヨナラ弾
プロ野球の珍プレーは、ユーチューブなどの動画投稿サイトでも人気コンテンツのひとつだが、当時の映像がほとんど残っていない昭和期のプロ野球にも、思わずビックリの珍プレーや珍ハプニングがたくさんあった。平成や令和とは明らかにテイストが異なり、それは“おおらか”そのもので、独特の妙味が感じられる「昭和プロ野球」の本当にあった嘘みたいな珍エピソードを紹介する。【久保田龍雄/ライター】
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サヨナラホームランを放った打者が、監督をおんぶしてホームインするという世にも不思議な光景が見られたのが、1967年9月5日の東映対東京である。
1対1の同点で迎えた9回裏、東映は3番からの好打順ながら、この回からリリーフした東京の右下手投げ・坂井勝二の前に、3番・毒島正一が三振、4番・張本勲も左飛に打ち取られ、たちまち2死となった。
坂井は4月25日の東映戦で9回まで無安打無失点(延長10回に2失点)に抑えた“東映キラー”とあって、このまま延長戦に突入するかに思われた。
ここで東映・水原茂監督は、5番・白仁天に代えて、左の代打の切り札・宮原務本(つもと/本名は秀明)を打席に送り出した。
そして、この代打策がピタリと的中する。宮原はカウント0-1から坂井の2球目をとらえ、右翼席に劇的な代打サヨナラ弾を放った。
「意外に軽かったなあ」
まさかの珍事が起きたのは、ダイヤモンドを回る宮原が三塁ベースに到達した直後だった。三塁コーチャーズボックスに立っていた水原監督が喜びのあまり、「ワシをおぶっていけ!」と命じ、後ろから抱きつくようにして、宮原の背中におぶさったのだ。
かくして、宮原は指揮官をおんぶしながら、歓喜のナインが待ち構えるホームへ。三塁コーチが走塁中の走者に触れるか、支えるかしたら、「肉体的援助」(野球規則6.08)が適用されることもあるのに、こともあろうに三塁コーチ(監督)が走者の背中に乗っかってホームインという想定外に事態に、審判も目を白黒させたはずだ。
おそらく、本塁打ですでに試合が決しているので、肉体的援助は無関係という“超法規的解釈”なのだろうが、お咎めなしでサヨナラゲームが成立したのは、いかにも昭和らしいおおらかな話だ。
水原監督は「宮原がよく打った。このところ当たってなかったので、8回2死二塁に起用しなかったのだが、(9回2死無走者の起用が)かえって良かったようだ」と結果オーライにご機嫌。
一方、宮原は「監督に『おぶっていけ』と言われたときはびっくりしたけど、意外に軽かったなあ」とユーモラスに切り返していた。
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