元世界王者・沼田義明が語る「世紀の大逆転KO」の舞台裏 恩師の“呪縛”から逃れた瞬間(小林信也)

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両手を下げると

 沼田は、私が最初に好きになったボクサーだ。なぜ沼田に魅かれたのか? そしてなぜ、勝つはずの沼田があの試合に負けたのか? その謎が知りたかった。

 あの試合とは、小林弘との初防衛戦だ。67年12月14日、赤穂浪士討ち入りの日、史上初の日本人同士の世界戦は注目を集めた。私は小学校5年だった。

 今回、ビデオを見直してハッとした。開始のゴングが鳴ると小林はガードを固め、頭を下げて出る。沼田は両手を左右に柔らかく動かし、静かに舞った。

(この瞬間、私は沼田に魅せられたのだ)

 そう思った。だが12回、小林の狙いすました右カウンターを顎に受けロープに吹っ飛んだ。執念で立ち上がったが、この回3度のダウンを喫して敗れた。

「小林がずっと、得意のカウンターを打つタイミングを計っていたのは感じていた。あのパンチは効いた」

 沼田が素直に負けを認めた。だがなぜ? 華麗なボクシングで小林を翻弄できなかったのか。思い出したように、沼田が話し始めた。

「オレはね、すごく体が固いのよ。ガードを固めると肩も肘もガチガチになって動かない。両手を下げて楽に構えると、自然と体が動き出すんだ」

 言いながら、往年の華麗さを思わせるダンスを踊り始めた。77歳と思えないキレのよさ。流れるように踊る沼田から、いつ、どんなパンチが飛び出すかわからない不気味さが漂った。

「あのスタイルはジムのトレーナーに教えてもらった。会長はガチガチにガードを固めろという主義だった。ガードを下げるとひどく怒られた。タイトルマッチの前の日に、寒い中で2時間説教されたこともある。試合に勝っても、会長の指示と違う戦法を取ったら、みんなの前で怒鳴られた」

 恩人でもある会長の呪縛が沼田にはあった。小高理論と異名を取り、当時最先端の頭脳とされた小高伊和夫にはボクシング経験がなかった。経営者だった小高が、沼田の台頭と共に指導の先頭に立つようになった。

 沼田はリング上で、会長の強制と自らの感性の間で揺れ動いていた。

 その光と影が鮮やかに交錯したのが、人呼んで“世紀の大逆転”、ラウル・ロハス(アメリカ)戦(70年)かもしれない。王座復帰後、“2度目の初防衛戦”だ。

「防衛して初めて本当の世界チャンピオンだと思っていたから、今度は絶対に防衛したかった」

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