【袴田事件】再審請求の審理終了、西嶋弁護団長が心境を語る「裁判官は腹を括ってくれるかもしれませんが…」
「袴田事件」の第2次再審請求差し戻し審の東京高裁(大善文男裁判長)での審理は、昨年12月5日の弁護団のプレゼンテーションと、袴田巖さん(86)の姉・ひで子さん(90)の意見陳述ですべてが終わった。あとは再審開始の決定を待つだけだ。年が明けて筆者は、事件に関係するある重要人物を訪ねたのだが――。1966年6月、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社の専務一家4人が殺された袴田事件。その犯人とされた巖さんが再審を求める戦いを追う連載「袴田事件と世界一の姉」の28回目は、西嶋勝彦弁護団長にこれまでの裁判を振り返ってもらった。【粟野仁雄/ジャーナリスト】
「話しませんから」
1月8日の午前、静岡県掛川市のとある一軒家を訪ねた時のことだ。
「ああ、袴田のことか。駄目だ、駄目だ。あんたのような非常識な人間には話しません。あんな暑い日に食べ物なんか置いていって、なんなんだ。話しませんから」
インターフォンのボタンを押すと、元気そうな老人が出てきた。彼は渡した名刺にちらりと目を落としてからこちらを見上げるや、それだけを畳みかけて戸を閉めてしまい、取りつく島もなかった。
実は昨年の夏にも、掛川駅から歩いて20分ほどのこの家を訪ねたことがある。その時は残念ながら留守だった。
電話番号もわからず、近くで帰宅を待てるような喫茶店もなかったため、そのうち暑さにへばってしまった。会うことを断念し、名刺に書き置きをして手土産のシュウマイを玄関口にぶら下げることにした。確かに猛暑だったが、シュウマイは真空パックだったので大丈夫だと思っていた。その老人の剣幕に「腐っていたんですか?」と問い返す暇すらなかった。
申し訳なく思い、将棋の藤井聡太五冠が昨年の王将戦の対局中に食べたことで人気になったケーキ「CHABATAKE」をJR掛川駅近くのホテルで買い、再びこの家に戻った。しかし、今度は車で出かけたようで不在だった。
名刺と共にケーキをポストに入れ、その場を去った。
袴田巖を犯人だと思っているのはなぜ?
さて、このようにして訪ねたのは、元静岡県警の警察官、A氏の自宅である。袴田事件において極めて重要な人物で、彼は事件が起きた1966年6月30日の直後に、味噌タンクを捜索したのだ。その時、タンクからは何も見つからなかった。しかし、事件から1年以上も経ってから、検察が犯行時の着衣として当初のパジャマから変更した「5点の衣類」が、このタンクから麻袋に入って出てきたことになっている。
A氏は最初の捜査のことを報道機関に問われて、「タンクに衣類など絶対なかった。それでも袴田巖が犯人だと思っている」と話している。しかし最近では、メディアの取材を拒否するようなことも言っていた。
A氏の証言が事実であれば、犯行着衣が当初のパジャマから突然「5点の衣類」に変更された時、なぜ「絶対に衣類などなかった」と県警内で主張しなかったのか。緘口令が敷かれていたのか、それとも組織での保身だったのか。
タンクの中に隠された麻袋のような大きなものを見つけられなかったのなら、大事件の現場担当の捜査官として大失態である。後日、「衣類など絶対なかった」とマスコミに話したのは、単に「失態」を否定したいだけだったのか。それとも……。ぜひ、A氏の本心を聞いてみたいものだ。
いずれにせよ今まさに、A氏の言う「なかった」が正しかったことが実証されようとしている。
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