“廃墟マニア”に大人気の「摩耶観光ホテル」で進んでいた知られざる解体・墓地造成計画、危機を救ったのは…

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跡地は「高級墓地」に

「あの一帯は国立公園に指定されているので、解体後に新しい建物は建てられないんです。ただ、建物の枠の中でなら何かできる。色々と考えて、お墓にしようと決めました。ひとつひとつの区画を大きくして、富裕層向けにすればなんとかいけるんじゃないかと。企画書を作り、麓の住民の方々に説明しに行かなきゃ、というところまで進めていました」

 なんと、マヤカンは解体され、墓地にされようとしていたのだ。

 確かに、摩耶ケーブルの「虹の駅」から歩いてすぐの距離にあり、眼下に神戸港を望み、景色も抜群に良いという立地を考えると、富裕層向けの墓地は“アリ”だったかもしれない。

 マヤカン解体への一本道を突き進んでいた三宮氏の前に、2014年11月、ある男性が現れた。NPO法人「J-heritage」代表・前畑洋平氏だ。この出会いがマヤカンの運命を変え、後の文化財登録へつながっていく。

廃墟を守るために「NPO法人」を立ち上げた廃墟マニア

 前畑氏は20年以上前から、廃墟マニアとしてカメラを手に全国の廃墟を巡り、自身のホームページで写真をアップしていた。かつては不法侵入する側でもあった。しかし、その行動が廃墟を解体に追い込んでいることを知り、考えを改めた。2007年のことだ。

「兵庫県養父氏の明延鉱山跡で、地元のガイドさんから“不法侵入が繰り返されることや、そこで撮られた写真がwebにアップされたことで、取り壊されてしまった施設がある”と聞いたんです。ショックでした。当時の僕は自分の行動が、廃墟となり忘れられた施設に光を当て、そこの価値を高めていると考えていたんです。自分の行動を正当化する気持ちもありましたが、そうした行為が廃墟を解体へ導いていたとは……」(前畑氏)

 同じ2007年には、廃墟マニアのみならず建築家の間でも高く評価されていた、レンガ造りの旧長崎刑務所が取り壊されている。不法侵入して写真撮影する人も多かった物件だ。明治時代の建築家、山下啓次郎が設計した「明治の五大監獄」のひとつが失われた。

「貴重な産業遺産が次々に解体されていくのを見て、どうすれば“残す”ことに納得してもらえるのかを考え、産業遺産を調査、記録し、ツアーなど保存活用のお手伝いをするNPO法人J-heritageを立ち上げました。2009年のことです」(前畑氏)

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