一夜のあやまちの後、突然会社に現れた浮気相手… 年下女性に“略奪”され「新生活がつらい」と嘆く50歳男性の苦悩

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 昨年12月末、自民党の橋本岳衆議院議員(48)と自見英子参議院議員(46)が東京都内で結婚式を行った。

 二人は、かつて週刊文春が報じた不倫カップル。ようは妻子ある橋本議員を、自見議員が“略奪”したわけである。

 不倫相手と再婚したと聞けば、本人にとっては幸せなことだと思う方もいるだろう。だが、男女問題を30年近く取材し『不倫の恋で苦しむ男たち』などの著作があるライターの亀山早苗氏によれば、そうとも言えないケースもあるという。なぜなら「覚悟」をもって不倫に走る人は多くはなく、そもそも結婚と恋愛は別だと考え、外で恋愛をしたとて結婚生活には影響はないはずととらえている男性もいるからだ。

 今回、亀山氏が取材した男性も、不倫の後の再婚後を悔いている。たった一度の過ちが引き起こした転落劇をみてみよう。

 ***

「まさか離婚されるなんて思ってもいませんでした」

 武藤亮輔さん(55歳・仮名=以下同)は苦しそうな表情でそう言った。定年になったら妻が行きたがっていた北欧旅行をしよう、家を売却して小さなマンション住まいもいいのではないかといつも話していた。老後のすべては妻とふたりでと考えていたのだ。それなのに妻はあっけなく離婚を決断した。人生の半分以上、妻と二人三脚で歩いてきたのにと、亮輔さんは恨みがましくつぶやいた。

 亮輔さんは現在、入院中なのだが、ほんの数ヶ月前まで不倫相手――という言い方を彼は好まないが――だった二回り近く年下の女性と、彼女の実家で暮らしていた。祝福されての結婚ではなかったから、針のむしろに座っているような毎日だった。別れた妻の路子さんとはいっさい、連絡をとっていない。とにかく彼曰く「わけのわからないまま離婚して再婚した」らしい。

 彼が路子さんと結婚したのは28歳のとき。路子さんは学生時代のサークルのひとつ先輩だった。当時から亮輔さんは路子さんが好きだったのだが、彼女にはサークル内でつきあっている同期の恋人がいた。

「映画研究会だったんですが、路子がつきあっていたのはサークル内でも一目置かれている先輩でした。映画に詳しいだけではなく、ものすごいイケメンで、なおかつ成績上位者だけに与えられる奨学金ももらっているほどの優秀な人。しかも先輩からも後輩からも信頼される人間性の持ち主だった。僕もその先輩が好きだったから、路子のことをどれほど好きでもアプローチなんかできるはずもなかったんです」

 あのふたりは完璧なカップルだと誰もが思っていた。ところがふたりが卒業してから数年後、別れたという噂が流れた。そんなはずはないと思っているとき、路子さんから連絡があった。

「亮輔くん、会えない? と言った路子の声は今も覚えています。絶望した人はああいう声になるんだと……。すぐに会う約束をしました」

 路子さんはげっそりと痩せた姿で現れた。内心、驚いたが「変わっちゃったでしょ、私」と言われて「いや、そんなことないです」と言うしかなかった。

「先輩にフラれた、と路子はつぶやくように言いました。もうさんざん泣いて涙も涸れ果てた感じでしたね。理由は聞けなかったけど、彼女が語ったところによると彼に好きな人ができたらしい。あんなにお似合いだったカップルにも終わりが来るのかと僕自身もショックを受けました」

 路子さんのあまりの憔悴ぶりを心配した亮輔さんは、ときどき連絡を入れては食事に誘った。何度目かに会ったとき、路子さんがようやく笑顔を見せた。

「亮輔くん、ありがとうと言われました。あなたのおかげで、最近、やっと仕事にも身が入るようになってきた。一時期はいつ死んでもいいと思っていたけど、今はスキルアップのための資格の勉強を始めたのと。心底、ホッとしましたよ」

 数ヶ月後、元の輝きを取り戻した彼女から、「亮輔くんみたいな人とつきあえばよかった」と言われ、「じゃあ、僕と結婚してください」と彼は思いきって言った。

「彼女は『私でいいの?』と何度も言うんです。僕はもともとあなたが好きだった、先輩がいたから遠慮していたけど、ずっと好きだったと必死に訴えました」

 そのとき彼は27歳。それから1年後、彼女が29歳のうちにふたりは結婚した。結婚パーティには、学生時代のサークルで一緒だった仲間や先輩後輩もやってきたが、路子さんの恋人だけはもちろん現れなかった。

「路子の当時の彼氏はどうなったと噂する人たちがいたのは知っていますが、誰も表だっては何も言わなかった。仲間たちには『当時からおまえは彼女が好きだったんだろ』とも言われました。バレていたみたいですね、僕の片思いは」

2人の子に恵まれた幸せな家庭

 片思いが成就したのだ。彼は路子さんを一生大事にすると心から誓った。実際、共働きをしながら、ふたりの子を育てていく生活は忙しかったが、それでも彼は幸せだった。

「路子は明るかったし、理不尽に不機嫌になるタイプの女性ではない。それがありがたかったですね。『今週は私、忙しいから、これとこれはお願い』とストレートに言ってくれるし、僕に負担がかかりすぎたときは『ごめんね、亮輔くんにばかりやらせちゃって』と謝ってくれる。いつも感謝してるとよく言っていましたね」

 子どもたちが少し大きくなってからは、家事も少しずつ一緒にやらせた。家族みんなでこの家庭を作っていくんだよと、路子さんは子どもたちに話していたそうだ。

「僕自身もその言葉を心に留めていました。僕らはいつも子どもたちに、僕たちはきみたちを心から愛してるし、いつも味方だからねと言っていた。ふたりともフルタイムで忙しかったけど、愛情だけはたっぷり注いだつもりです」

 長女が20歳になったのは彼が50歳のとき。彼はこの日、しみじみと妻と来し方を振り返ったという。

「いろんなことがあったけど、ようやく娘が成人した。長男はそのとき18歳。もうそろそろオレたちの役目も果たしつつあるね、と。娘が大病したり、やんちゃな息子が高校を停学になったりと心配ごともあったものの、娘は大学生、息子も大学入学を目指していた。そういえばオレたちが知り合ったのも大学だったなあとか、とりとめもなく飲みながらしゃべり続けたのを覚えています」

 オレは本当に路子と一緒になってよかった、幸せだと何度も言った。路子さんはニコニコしながらそれを受け止め、「私もよ」と言った。いつでも自分のほうが少しだけ妻をより愛していると亮輔さんは感じていたが、それが幸せでもあると思っていたという。

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