平壌で消えた金正日の料理人・藤本健二氏 秘密を知り過ぎた男に何が起きているのか

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衝撃を与えた藤本氏の発言

 藤本氏は、1989年から金正日の専属料理人となり、金正恩が7歳の頃から相手をした。2001年に「殺される危険」を 教えられ、日本に脱出した。なのに、また北朝鮮に帰ったのだから、何かがあったと考えないと理解できない。

 北朝鮮からの脅しは、日本に「逃亡」後も続き、北朝鮮から持ち帰った金正日の機密写真数百枚を、親しくなった女性が焼いて逃げた事件も起きた。女性は明らかに、北朝鮮の手先だった。「お前をいつでも殺せる」との脅しが込められていた。

 藤本氏は、12歳までの金正恩を知る唯一の人物だ。金正日は、子供や家族への高官の接触を禁じていたから、藤本氏以外には金正恩を知る人は、ほとんどいなかったので、彼の発言は注目された。藤本氏以外には、金正恩に 身近で接触し話を交わした人物は北朝鮮でもいなかった。

 朝鮮問題の専門家や政府関係者、取材記者らが注目する中で、藤本氏がテレビ局のスタジオで発言した。

「いやー、変われば変わるものだ」

 この発言は、平壌に衝撃を与えた。普通なら、「ご立派になられて、感激だ」と言えばいいのに、なぜ「変われば変わるものだ」と言ったのか。あたかも、自分が知っている金正恩とは違うとの意味に受け取られる表現だ。

 後になって、私は藤本氏に発言の真意を聞いたが「覚えていない」と逃げられた。北朝鮮は、口封じのために、平壌に呼び寄せたのか。情報機関関係者は、「藤本の発言に驚愕した平壌当局が、真実を口外させないために平壌に『永久帰国』させたが、スパイ容疑で消されたのではないか」とも推測する。

 彼はなお生存しているのか、あるいは刑務所か、政治犯収容所にいるのか。藤本氏の行方が分からなくなってから三年半が過ぎた。「金正日の料理人」は、金正恩への疑問とその謎を解くカギだけを残した。

重村智計(しげむら・としみつ)
1945年生まれ。早稲田大学卒、毎日新聞社にてソウル特派員、ワシントン特派員、論説委員を歴任。拓殖大学、早稲田大学教授を経て、現在、早稲田大学名誉教授。朝鮮報道と研究の第一人者で、日本の朝鮮半島報道を変えた。著書に『外交敗北』(講談社)、『日朝韓、「虚言と幻想の帝国の解放」』(秀和システム)、『絶望の文在寅、孤独の金正恩』(ワニブックPLUS)、『半島動乱 北朝鮮が仕掛ける12の有事シナリオ』(ビジネス社)など多数。

デイリー新潮編集部

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