【どうする家康】なぜ元康は今川義元の人質に?第1話で描かれなかった知っておきたい史実

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 NHK大河ドラマ「どうする家康」が第2話を迎える。第1話は精緻につくられていたが、一部に不満の声もあった。その理由は主人公・松平元康(のちの徳川家康、松本潤[39])の人格形成期の描写がなかったことと、進行がハイテンポだったことにあるのではないか。史書と照らし合わせ、考えてみたい。

後回しになった元康の人格形成期の描写

 どの大河も第1話から見せ場をつくる。「鎌倉殿の13人」は女装した源頼朝(大泉洋[49])の遁走劇だった。

「どうする――」の場合、「桶狭間の戦い」(1560年)における松平元康の「大高城への兵糧入れ」。しかし、ちょっと飛ばしすぎだったかも知れない。

 物語は1556年から始まった。元康は13歳。駿河国(現・静岡県中部)、遠江国(現・同県西部)の大名・今川義元(野村萬斎[56])の人質だった。

 その後、16歳で瀬名(のちの築山殿、有村架純[29])と結婚。長男・竹千代(のちの信康・寺嶋眞秀[10])が生まれ、19歳で「大高城への兵糧入れ」に臨んだ。第1話では、ここまでが描かれた。

 第1話で分かった元康のキャラクターは「臆病」「優柔不断」「お腹が弱い」。三河国(現・愛知県東部)の岡崎城主だった松平広忠(飯田基祐[56])の跡継ぎとして生まれながら、どうして武将らしからぬ気性になったのか。それは不明だった。

 理由は幼いころの環境と教育、6歳から8歳までに経験した尾張国(現・愛知県西部)の大名・織田信秀(藤岡弘、[76])の下での人質生活にありそう。それが描かれるのは今後になるようだ。

 この時系列の入れ替えは正しかったのだろうか。人格形成期の描写が後回しになったことで、第1話は元康に感情移入するのをやや難しくしてしまったのではないか。また、ハイテンポだった分、人物や状況の説明が少し不足していたようにも思えた。

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