田原総一朗が明かす妻の死を乗り越えさせてくれた「新しい恋」 「憧れの人と時々デート」
妻との2度の死別
そんな私も、2人の女房が亡くなった直後は、どちらも二度と立ち直れないんじゃないかと思うくらい打ちひしがれてしまった。2人目の女房にいたっては、もともと仕事仲間だったこともあり、家庭のことから仕事のことまで全て彼女に任せていたんです。仕事を受けるかどうかはもちろん、場合によっては資料集めや原稿のチェックまで彼女と相談しながら進めていた。だから、あの時は悲しみを紛らわそうと仕事に逃げることもできず、本当に無気力状態に陥ってしまいました。
でも、落ち込んだままでいいわけがない。女房の死後、私はなんとか気持ちを奮い立たせて、まずは学生時代の友人たちに連絡を取ってみることにしました。悲しみや寂しさで引きこもったりしては大変ですから、無理やりにでも心の扉を開けておこうと思ったのです。
すると、これが何とも面白い。仕事で付き合う人たちと違って、昔からの友人にはいろんな職業、性格の人間がいますから、定年退職後の人生をどうしているかとか、年金がどうだとか、同年代のリアルな悩みに接することができた。寂しさを紛らわすためという消極的な理由だった友人との交流が、私の好奇心を広げてくれたんです。
学生時代のマドンナとデート
それから、女房が亡くなった喪失感を乗り越えるためには、新しい恋をしたのも良かったんじゃないかと思っています。娘によれば私は葬儀から帰るタクシーの中で、もう「恋をするぞ」と表明をしていたらしいので、よほどの決意だったのでしょう。お互い伴侶を亡くした学生時代のマドンナと時々デートをするなど、今でも恋は継続中です。
そうはいっても、若い頃と同じように寝ても覚めても思い焦がれるような熱い恋愛をする必要はありません。家族の理解のもと、時々会ってデートを楽しむくらいで十分なのです。
何事においても大切なのは、この“家族の理解”です。妻に先立たれた私が今でもこうしてひとりで生活を送り、仕事を続けていられるのは、ひとえに娘ら家族あってのこと。
家族とも疎遠になってしまうご老人がたまにいますが、関係をうまく保つコツは、上手に怒られることです。年を取ると、どうしても他人の批判をしたり説教ばかりを垂れたりしてしまいがち。でも、これでは若い人たちに嫌われてしまいます。
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