プロデューサーが明かす中森明菜からの朗報 「歌への意欲は衰えていない」
歌への意欲は衰えておらず
川原氏は5年ほど前に明菜と再会を果たしたという。
「とあるレコード会社でね。少し痩せた印象で“帯状疱疹で大変”なんて言われていましたが、歌への意欲は衰えておらず“レディー・ガガの新曲をどう思います?”と意欲的でした。“歌うべき作品を探している”と感じたので“カバーアルバムはやめたら?”とアドバイスしたのを覚えています」
22年夏には明菜にとっての朗報に接したと振り返る。
「8月に音楽業界の知り合いから“近いうちに寺林から電話が行くかも”と連絡があった。寺林(晁(あきら))は中森さんがデビューする前から制作宣伝を統括していた“育ての親”。中森さんも全幅の信頼を寄せていた人で、ここ数年は彼女の復帰に最も熱心に取り組んでいた」
すぐにピンときたという。
「用件はニューアルバム制作の話だと。カバーアルバムの『歌姫』は7作に達していて、僕は今度こそオリジナルがいいと考えていた。だから、曲も注目の若手作曲家に頼もうなんて構想を練っていたんですが……」
「これもプロのあり方」
ところが、寺林氏は22年11月に肺炎のため死去。計画は宙に浮いてしまった。
「中森さんが人前に姿を見せないのは、プロとして完璧な姿を見せられないと判断しているからでしょう。“これ”という作品に出会えないなら、このまま消えてもいいと思っているフシさえある。ネガティブに見えるかもしれませんが、これもプロのあり方です」
話は再び聖子に戻り、
「21年は精神的に厳しい中、ギリギリまで紅白への出場を模索した。松田さんは“求められている以上、出るのが務め”という考え方。こちらはポジティブなプロだといえますね」
陰でも陽でも人気はいまだ衰えず――。
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