石田三成はまんまと関ヶ原へおびき出されたのか? 「家康の罠」説に歴史家が出した「納得の結論」

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「天下分け目の戦い」関ヶ原合戦においてよくある議論に、大垣城にこもっていた西軍の中心勢力が徳川家康の知略に引っかかり、自ら城から出て関ヶ原に移動、徳川家康が得意としていた野戦を選ばされたという説がある。

 もし大垣城に石田や島津、小西、宇喜多など本戦で戦った西軍の主力部隊が籠城したままであれば、関ケ原の戦いが起こらず、数日どころか半年以上も決着がつかなかったかもしれない。大坂城から毛利輝元を従えての豊臣秀頼の出陣という、東軍にとっては最悪の事態になっていたかもしれず、乾坤一擲、短期決戦に持ち込んだ「天下人」家康の決断力、さすがというべきか。...

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