巨人投手からYouTuberへ…鈴木優さんが語る“自分はプロで通用しないと痛感させられた大投手の名”
戦力外通知
7月1日、開幕11試合目の西武戦に先発した。新型コロナの感染対策で、メットライフドームは無観客試合だった。
5回裏まで無安打と好投したが、4回に右腕が痙攣していたこともあって降板。だが、チームは6回表に6点を取る猛攻を見せ、6対0で勝利した。
鈴木さんのプロ初勝利は、《高卒の都立高出身者ではプロ野球史上初勝利》という記録も加わった。
「もちろん初勝利は嬉しかったです。同じ年にプロ野球に入った同期のピッチャーの中でも、入団6年目の初勝利は決して遅いほうではありませんでした。僕がオリックスに入った時、実力は一番下でした。それが6年間かけて育ててもらって、一軍で初勝利を挙げられるほどの投手になれた。感謝しかなかったですね」
だが鈴木さんは伸び悩んだ。なかなか2勝目が挙げられない。シーズン後半には抑えで起用された。結果、20年シーズンは、先発6試合を含む13試合に登板し、1勝3敗1セーブ2ホールドという成績に終わった。
21年のキャンプは一軍スタート。オープン戦では抑えとして好投を続け、プロ入り初の開幕一軍を果たした。
だが、4月のロッテ戦では5失点、5月のソフトバンク戦でも4失点を喫した。そのまま登録を抹消され、再び一軍に呼ばれることはなかった。そして10月5日、球団から戦力外通告を受けた。
メジャー挑戦の想い
鈴木さんは、自身の野球人生を全く後悔していないという。常に全力を尽くしてきたという自負を持っている。
ただ後悔とは違った文脈で、「もし自分がキャッチャーを続けていたら、どういう選手になったのだろう」などと考えることはよくあるという。
「『高校生の時、プロではなく大学を選択していたらどうなっていただろう』と想像することもあります。ですからオリックスの後半時は、『自分が戦力外通告を受けたらどうなるんだろう』と考えていました」
想像が現実のものになった。とはいえ、精神的なショックはあまりなかったという。
「自分の性格なのか、『じゃあ次はどうしよう』と考えたんです。僕は幼い時から漠然とアメリカへの憧れがありました。それがプロ野球選手になってから、『現役でも引退した後でも、必ずアメリカに行こう』と決心するようになりました。ならば、メジャー球団の日本担当スカウトの方々に、自分を見てもらおうかと考えたんです」
(この稿つづく)