巨人投手からYouTuberへ…鈴木優さんが語る“自分はプロで通用しないと痛感させられた大投手の名”
ストイックな日々
コーチ陣が出す課題に一つずつチャレンジしていくうちに、入団3年目で150キロのボールを投げられるようになった。球速は最終的に153キロまで伸びた。
「もちろん嬉しかったですが、プロの指導力って凄いなと感心する気持ちのほうが強かったかもしれません。それに150キロのボールを投げたからといって、全ての打者を打ち取れるわけではありません。それでもコーチ陣の指導に従えば、自分でもこれほど速い球が投げられるようになるんだと驚きました」
もちろんコーチ陣の指導は大きかっただろう。だが、鈴木さんも極めて真剣に野球に向き合っていた。
「練習して、栄養を考えた食事を摂り、質の高い睡眠を取る。時間があると見聞を拡げるため様々な本を読む。こんな日々を積み重ねました。例えばお酒なら、僕は弱くはありませんが、それほど好きというわけでもありません。現役の時も引退した今も、それほど飲みたいとは思いません。僕が特別にストイックだったというわけではないでしょう。みんな同じだと思います。毎日のように大酒を飲むというプロ野球選手は、もうほとんどいないはずです」
鈴木さんが一軍のマウンドに初めて立ったのは、入団1年目の9月30日だった。地元・京セラドーム大阪の対西武戦で、9回表に登板を命じられた。
「自分は一軍の試合に出られるようなレベルではない」とは思っていた。結局、打者3人を相手に2安打2失点というほろ苦いデビューとなった。
プエルトリコでの発見
「二軍では抑えることができても、一軍では上手くいかない。その繰り返しでした。それでも諦めずに、一日一日を積み重ねる。これはプロ野球に限らず、人生で大切なことだと学びました。当時のコーチ陣がデータを重視していたのも、僕には向いていたと思います。『フィジカルな素質では敵わなくても、頭を使ったピッチングでバッターに対峙しよう』と考えていました」
とはいえ、懸命に努力しても、なかなか結果は出ない。毎日の積み重ねが大切だとは分かっていても、辛い日々だったことは言うまでもない。
苦しんでいた鈴木さんに転機が訪れた。2019年のシーズンオフ、プエルトリコのウインターリーグに派遣されたのだ。
「たくさんの収穫がありましたが、最も価値があったのは『野球を楽しむ』ことの大切さを再認識できたことでした。それまでの僕は『なんで一軍に上がれないのか』などと悩みすぎていました。そもそも野球が楽しくてプロ野球選手になったんです。それなら実際の試合でも楽しもうと、考えを改めました」
翌2020年のシーズンは新型コロナが猛威を振るい、開幕は6月まで延期された。オリックスは開幕10試合を終えて、わずか1勝と低迷。そこでチャンスが巡ってきた。
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