巨人投手からYouTuberへ…鈴木優さんが語る“自分はプロで通用しないと痛感させられた大投手の名”
ドラフト会議で真っ青
「大学かプロか、悩みに悩みました。しかし、『今の自分がワクワクするのは、プロに挑戦している姿を想像した時だ』と気がついたんです。それで踏ん切りがつきました。強豪校を相手に自分の球が通用していたことも大きかったのかもしれません」
ドラフトが近づくと、最終的に11球団から調査書が送られてきた。
「雪谷高校からプロ野球に進んだOBはいません。誰も何も分からないんです。『11球団から調査書が届いたんだから、どこかは指名してくれるだろう』とか、『3位とか5位で指名してくれんじゃないの?』とか、みんないい加減なことを言っていました(笑)」
ところがドラフトが始まると、どこの球団も指名してくれない。
「『これはヤバい』と滅茶苦茶に焦りました。するとオリックスが、9巡目に指名してくれたんです。だからドラフトを終えた時は、『プロ入りできて嬉しかった』というより、『ホッとした』という気持ちが強かったですね」
15年、オリックスに入団した。もちろんスタートは二軍からだった。無我夢中で日々を過ごしていたが、ある日ふとしたことから、自分の実力不足を痛感したという。
目標150キロ
05年から18年までオリックスに在籍した金子千尋さん(39)が二軍に来たのだ。金子さんはオリックスのエースというだけでなく、球界を代表するピッチャーの1人だった。
前年に金子さんは肘を手術。そのためこの年のシーズンは、開幕一軍の起用は見送られ、二軍でのスタートとなった。
「僕と金子さんが並んで投球練習をすることになったんです。特に衝撃を受けたのは、コントロールの凄さでした。狙ったところに完璧に決まる。キャッチャーミットは数ミリも動いていないんじゃないかと思うほどでした。『僕なんてプロでは通用しない』と打ちのめされました」
だがオリックスのコーチ陣は、そんなことは百も承知だったのかもしれない。鈴木さんには急いで結果を求めず、じっくりと育てる姿勢を打ち出した。
「基礎から一つひとつ課題を出されました。僕が一つ課題をクリアしたら、難易度を上げた新しい課題が出される。その繰り返しでした。具体的な目標の一つとして、150キロのボールを投げるというものがありました。高校時代から150キロは憧れのスピードでしたが、全く投げられなかったのです」
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