巨人投手からYouTuberへ…鈴木優さんが語る“自分はプロで通用しないと痛感させられた大投手の名”

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東進ハイスクール

 大多数の高校は「キャッチャーの鈴木」に興味を持っていた。ところが1校だけ「ピッチャーでもいい」と鈴木さんの考えに理解を示してくれた高校があった。

「それが都立の雪谷高校だったんです。中学生の時に練習会に参加し、監督から『ウチに来ないか』と声をかけてもらいました。そもそも野球で高校に行けるとは思っていなかったので、僕は中学校1年生の時から学習塾に通っていました」

 高校側は「スポーツ推薦で応募してくれてもいい」との意向だったが、鈴木さんは一般推薦を選んだ。

「スポーツ推薦は枠が3人しかありませんでした。僕が使ってしまうと、残りの枠が2人になってしまう。僕の成績なら一般推薦でも大丈夫だったので、スポーツ推薦は他の人に使ってもらおうと思いました」

 晴れて合格し、野球部に入った。高校時代の鈴木さんに触れたサイトの中には《1年生の秋にはエースの座を確保》と書いたところもある。

 間違ってはいないが、正確でもない。高校2年生まではピッチャー兼キャッチャーだったからだ。

 高校の部活は午後5時半に終わった。やはり鈴木さんは、野球で大学に行けるとは思っていなかったので、練習が終わると東進ハイスクールに通った。

大学が出した条件

「赤点を取ると、一定期間、部活ができなくなるという規則があったため、勉強は頑張りました。勉強と部活の両立ができるよう、練習は午後5時半に終わるわけです。とはいえ、練習が終わると疲れ切っていました。ですから東進の教室では、何度も居眠りしてしまいましたね。それは事前に予想できていたので、映像授業を選択しました。これなら居眠りしても、ビデオを巻き戻して授業を聞き直すことができます(笑)」

 高校2年生も終わりを迎えた頃、複数の大学から「ウチの野球部に来ないか」と声がかかった。そこには東京六大学の野球部も含まれていたという。だが、提示された条件は厳しいものだった。

「『今すぐウチの野球部に行くと決断してくれるのなら、入学を認めます。でも、プロとの掛け持ちはダメです』と全ての大学から釘を指されました。大学に行くべきか、プロを志望するか、二者択一しかないわけです。これには本当に迷いました」

 高校3年生の夏、東東京大会で3試合連続完封勝利を記録した。準々決勝で関東第一高校に敗れて終わったものの、「都立の星」として注目を集めた。

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