巨人投手からYouTuberへ…鈴木優さんが語る“自分はプロで通用しないと痛感させられた大投手の名”
通算8年のプロ野球人生。投手として一軍の試合に登板したのは5シーズンで、1勝3敗1セーブ2ホールド、奪三振56、防御率7・91──これが鈴木優さん(25)の通算成績だ。
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2014年のドラフト会議でオリックスから9巡目で指名。契約金1000万円、年俸480万円(推定)で入団した。
冒頭で紹介した通算成績は、15年から21年までのオリックス時代に残した記録だ。同年10月に戦力外通知を受け、12月に巨人と育成契約を結んだ。
22年の春季キャンプでは途中から一軍に合流したが、このシーズン、公式戦で一軍のマウンドを踏むことはなかった。
同年10月、巨人は「来季の契約は結ばない」と発表。鈴木さんは11月に引退を表明した。
プロ野球の世界は極めて競争が激しい。大成できなかった選手はごまんといる。ところが今、鈴木さんは、ある意味、現役時代より注目を集めている。
それは彼がYouTuberとしてデビューしたことが大きいようだが、それだけではない。
なぜ無名の元プロ野球選手が話題となっているのか、その理由を彼へのインタビューを通じて明らかにしていきたい。
前編にあたる本稿では、鈴木さんの幼少期から始まり、オリックスから戦力外通告を受けたところまでを描く。
鈴木さんは小学校3年生まで、父親の仕事の関係で愛知県名古屋市に住んでいた。小学校1年生の時、父親が勤務先で中日戦のチケットをもらってきた。
最初はキャッチャー
「中日が地元の球団という意識もなく、単に青い色が好きだったので応援していました。子供心に『野球って面白い』と思い、野球に興味を持ちました。それから父とキャッチボールをするようになったのが、僕の野球人生の原点だと思います」
小学校4年生で東京都目黒区に引っ越した。地元の軟式野球チームに入り、高学年になる頃には手応えを感じていたという。
「小学生の時、メインのポジションはセンターでした。ホームランも打ち、5年生の時にはチームの主軸として活躍していたと思います。6年生で目黒区の最優秀選手にも選ばれました。これは自分に自信を与えました。野球の面白さには目覚めていましたが、『僕は他の人より野球が上手なのかもしれない』と意識するようになりました」
中学生になると、学校の野球部だけでなく地元のクラブチームにも参加した。
「この頃は基本的にキャッチャーを担当していました。しばらくすると、いくつかの高校から声をかけてもらいました。その中には甲子園常連校もありました。ところが、次第に自分の中で変化が生じてきたんです。キャッチャーとしてピッチャーをリードするのは面白かったけれど、経験を積むほど、『自分で投げてみたい』という想いが抑えられなくなりました」
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