勝新太郎が生前語った「唯一、かなわないと思った俳優」、市川雷蔵が涙を流しながら語った身の上話… 俳優・三夏紳が明かす「大映」秘話

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涙を流しながら身の上話を

 当時からよく、スターらしからぬ堅物といわれていた雷蔵さんも、色事に興味がなかったわけではありません。ある酒席で私に、「トルコ風呂ってのはどうなんや?」と聞いてきたこともあります。あんまり根ほり葉ほり尋ねるので、

「なんならご案内しましょうか?」

 と提案すると、

「その節は頼むよ」

 なんて、小声でね……。

 そうしたある日のこと、京都のゲイバーで深夜3時まで飲んだあと、雷蔵さんが「うちに来い」とおっしゃる。こんな遅くにと遠慮していたら、

「いいから来い」

 それで家に伺いましたら、大映の永田雅一社長の養女だった奥さまも起きて来られてね。まずいなあと思ったんですが、雷蔵さんはまだ飲むんです。ご相伴しながら、いかに雷蔵さんが素晴らしい人かみたいに持ち上げる話などしてましたら、

「三夏、両親は健在か?」

 とお尋ねになる。はい、と答えると、

「お前は幸せだよ。俺はこう見えても本当の親の味を知らん。3人父親がいるんだよ……」

 そうして、涙を流しながら身の上話を始めました。

 雷蔵さんは生まれてわずか半年で、養子に出されます。だから実父のことはほとんど覚えておられない。

 養子にいった先が、市川九團次という歌舞伎役者のところでした。

 雷蔵さんは中学を卒業するかしないかの頃に歌舞伎の世界に入りますが、歌舞伎は家系がすべてです。いくら実力があろうが関係ない。そして九團次さんのところは梨園ではまぁ、二流扱いだった。

 それでもやっぱり雷蔵さんの才能に目をつける人はいまして。その人の口添えで名門の市川壽海さんの養子に入ります。20歳になったときだと言っていました。

 つまり「父親」が3人。

演者としてのすごさ

 たしかに尋常ならざる境遇ですが、私は話を聞きながら「どうして大スターがこんなに泣くんだろう」と思っていました。

 振り返ればちょうどその頃、雷蔵さんはほとんど記憶に残っていない実の母と30年ぶりに再会したばかりでした。

〈雷蔵の母は夫(雷蔵の実父)の親族からいじめられるなど辛い目に遭ったうえ、夫の義兄にあたる九團次が雷蔵を引き取ることに抵抗するなど心労を重ねた。〉

 だから家族というものに対して思うところがあったのでしょうね。会って間もない私にそんな個人的なことを話してくれたのは、よほど心を許してくれていたんだと思っています。

 さて、大映で“鬼”として知られた増村保造監督の「陸軍中野学校」(66年公開)の撮影での話です。主演は雷蔵さんですが、私はこのとき、俳優をやめようと思い詰めました。

 たった一言、「はあ」というセリフだけのために、朝10時から夜7時まで撮り直しをさせられたからです。

 次の日の撮影は、私が中野学校の生徒に追いこまれて殺されるシーン。その日は全部1回撮りでオーケーが出ました。撮影後、雷蔵さんが飲みに誘ってくれて、新宿・歌舞伎町のバーに行きました。

「増村保造はたいしたもんだな。三夏、わかるか? 昨日“はあ”をあんなふうにやらせたのはな、今日の芝居のためなんだよ。昨日の“はあ”で今日のキミは作られていたんだよ」

 言われた瞬間、そんなところまで見ていた雷蔵さんはなんてすごい人だろうと思いましたね。それにしても、今では考えられない演出法ですよね。

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