勝新太郎が生前語った「唯一、かなわないと思った俳優」、市川雷蔵が涙を流しながら語った身の上話… 俳優・三夏紳が明かす「大映」秘話
「三夏は紳だからシン子。俺はライ子で」
雷蔵さんと初めてお会いしたのは、三島由紀夫原作、三隅研次監督の「剣」(64年公開)の撮影現場。大学の剣道部が舞台の現代劇でした。私を含めた若手俳優が選ばれて京都の撮影所に行ったんです。
京都の撮影所は東京よりも古風で、しきたりに厳格です。現場につくなり“まず雷蔵さんにあいさつしてくれ”と前置きされて。こわごわ雷蔵さん専用の部屋に伺いましたら、
「そんな、堅苦しいことはやめとくなはれ。気楽にやりましょ」
と、おどけたような京都弁で言ってくれましてね。何しろ大スターの中の大スターで、周囲はみんな“若旦那”と呼んでいます。こっちも緊張しきりでしたが、いっぺんにホッとして、すぐになついてしまったのを覚えています。
それから1週間ほど経ち、初めて祇園に連れて行ってもらった夜のことです。
散々ハシゴしたあと、すっかりできあがった雷蔵さんが最後に、
「ゲイバーに行こう」
と言い出した。それで、こぢんまりとした、雷蔵さんなじみのゲイバーに入りましてね。
「ここではオネエ言葉でいきましょ。三夏は紳だからシン子。俺はライ子で」
堅物のイメージがあるのに、こんな飲み方をするのかとびっくりしました。
雷蔵であることを隠してバーに
それからは仕事で東京に来る度に、しょっちゅう私に電話をかけてくれるようになりました。雷蔵さんが関係者に連れて行かれるのは赤坂の料亭ばかり。
「三夏、俺、こういうところつまらないんだよ。どこかお前の知ってるところを案内してくれよ」
と雷蔵さん。私は当時住んでいた中野、高円寺、それから新宿くらいしか知らなかったのですが、
「そっち行こうよ」
となるんです。
「小さなバーでいいんですか?」
「そういうところがいいんだよ」
そんなわけで、あるとき中野の裏通りにあるバーに案内したことがあります。雷蔵さんであることはお店に隠してね。いくら「眠狂四郎」でニヒルな剣客を演じる大スターでも、化粧を落とすと普通のサラリーマンに見える。それで、ボックス席でウイスキーを飲んで騒いでいると、ママが私にささやきました。
「あの人も俳優さん?」
それに気付いた雷蔵さんがすかさず割って入ります。
「僕は裏方の事務です!」
そのうち流しのギター弾きもやってきて、雷蔵さんに、
「お兄さん、歌わない?」
そう声をかけても、
「僕、歌はあんまり……」
なんてね。ところが、やっぱりママの目は鋭いといいますか、しばらくして私にそっと聞くんです。
「横顔が雷蔵に似てる気がするんだけど、まさか違うわよね?」
雷蔵さんも、観念したという様子で正体を明かします。ママは驚いて悲鳴を上げましたよ。流しは流しで震えてギターも弾けなくなっちゃったりしてね。天下の市川雷蔵が来るとは誰も思わないですから。
雷蔵さんにはそういう茶目っ気がありましたね。
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