勝新太郎が生前語った「唯一、かなわないと思った俳優」、市川雷蔵が涙を流しながら語った身の上話… 俳優・三夏紳が明かす「大映」秘話

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「出だしから雷ちゃんにはかなわなかった」

 ただ、勝プロの人が勝さんの酒を止めようとしていたのが気になり、帰り際にどこか悪いのか本人に聞いたんです。

「ちょっと喉がな。いろんなもの吸ったからね」

 と勝さん。

「六本木の黒人が俺の顔を見ると“シックスティーフォー、シックスティーフォー”ってうるさいんだよ」

「なんですか、それは?」

「ハッパだよ」

 いたずらっぽく笑って私を見ます。シックスティーフォーは64、ハッパ(8×8)64というわけです。大麻やらコカインやらで警察の厄介になったことを冗談めかしてね。そんな話をしながら私をタクシーまで送ってくれて、最後にヒシと手を握って「がんばれよ」と声をかけてくださった。

 記者たちには1時間で戻ると言ったのに、結局3時間以上待ちぼうけを食わせてしまいました。1社だけが私の帰りを待ってくれていましたっけ。

 いつも豪放磊落(らいらく)な勝さんでしたが、たまにしんみりすることも。それは、同い年のライバルである市川雷蔵さん(1931~69)の話をするときでした。

「なあ、俺は出だしから雷ちゃんにはかなわなかったよ。第一な、三味線弾きの俺とは待遇が違ったんだよ」

 そんなふうに言うのです。

「一番悔しかったのは…」

 勝さんと雷蔵さんは「花の白虎隊」(54年公開)で同時に映画デビューするのですが、そのときのギャラは4倍も違ったそう。もちろん、歌舞伎役者としてその名を轟かせる雷蔵さんのほうが多かった。

 デビューして数年間、勝さんは芽が出ませんでした。たとえば京都の嵐山にロケに行っても、雷蔵さんはハイヤーでさっそうと帰る。かたや勝さんはスタッフたちと一緒にロケバスに揺られて帰ります。勝さんいわく、

「一番悔しかったのはな、自分の出番が終わったから、みんなの仕事が終わるまで居眠りしていて、目が覚めると誰もいなかったことだよ。寝てる俺を置いて、みんなロケバスで帰っちゃったんだよ」

 会社でも「雷蔵はバンバン客が入るのに、勝は全然客が入らない」と言われていた。それまで演じていた、長谷川一夫さんそっくりの白塗り二枚目では限界があったんですね。その勝さんが“悪役”で大評判をとったのが「不知火検校(しらぬいけんぎょう)」(60年公開)でした。

〈「座頭市」や「兵隊やくざ」といった当たり役でようやく日の目を見た勝新は、歌舞伎界から鳴り物入りで銀幕の世界にやって来た市川雷蔵と肩を並べるまでに。マスコミはキャラクターも対照的な二人を大映の二枚看板“カツライス”としてもてはやす。当時の記事では勝新は“豪胆”と評され、「雷さま」の愛称で女性ファンから熱狂的な支持を受ける雷蔵は“堅物”と称されることが多かった。〉

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