「日本と違って選手が自立」 ソチ五輪銀・竹内智香がスイスに取び込んでつかんだ“タフさ”(小林信也)
スポーツの新しい価値
北京五輪後も現役続行の道を選んだ竹内が言う。
「人生における“覚醒”がコロナ禍の中でありました。東京五輪への反対が多数を占め、スポーツの価値が下がった。その中で、どうしたら五輪が支持されるのだろう?と考えました。
ただ単に自己満足のためにメダルを取りにいくのではなく、『五輪をやってよかったね』『この街に五輪選手がいてよかった』と言ってもらえる存在になっていこう、それが私の挑戦でした」
コロナ禍でジムでの練習もできない中、本拠を東京から地元の東川町に移した。自分のためにもジムが必要だった。町と協力して、町民も使えるジムを開いてもらった。東京から、自分が通っていた「R-body」という健康コンサルタント企業のトレーナー2人に移住してもらった。彼らは、竹内のサポートと同時に町民たちに健康指導をしている。
「人生100年、健康寿命が問われる時代。町民の健康寿命を長くするにはスポーツがすごく大切だと知ってもらう活動をする中で、『この町に竹内智香がいてくれてよかった』と思ってくれている人が多くなっているといい。町を歩いていて、『R-bodyさんを連れてきてくれてありがとう』『手足の冷え性が治った』とか聞くとすごくうれしい」
スポーツの地位がコロナ禍に吹き飛ばされそうな逆風は続いている。だが、
「アスリート一人ひとりが、本来のスポーツの力を一般の人の生活に還元する活動をしていけば、スポーツの新しい価値を提供できる。それが金メダルと並ぶ私の目標です」
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