「日本と違って選手が自立」 ソチ五輪銀・竹内智香がスイスに取び込んでつかんだ“タフさ”(小林信也)
大雪山の主峰・旭岳の麓にある東川町で生まれ、2歳からスキー、10歳からスノーボードに親しんだ竹内智香が競技に目覚めたのは14歳の冬。スノーボードが初めて採用された1998年長野五輪に触発された。
「女子大回転で優勝したフランスのカリーヌ・リュビ選手がカッコよくて、この選手に勝ちたいと思った」
金髪の長い三つ編みが少女の胸を揺さぶった。その日から、楽しむだけでなく勝利を目指すスノーボーダーになった。
高校在学中の2002年、ソルトレークシティー五輪に出場。06年トリノ五輪では9位に入った。W杯にも参戦したが、表彰台には遠く及ばなかった。
「世界で勝ちたい」
そう考えていたが、日本のアルペン界は、「日本人が勝てるわけがない」という先入観に縛られていた。
「6年間世界を回って、『何か変化を起こさないと勝てない、大人の固定観念を信じちゃいけない』と思った」
竹内は、行動を起こした。
「フランスやドイツなど、国際大会で知り合ったナショナル・チーム5カ国に『一緒に練習させてもらえないか』と頼んだのです。でも次々に断られました」
だが、スイスだけが少し前向きだった。スイスはトリノ五輪の女子2種目で金メダルを獲った強豪。
「最後は私が押し切った形で」、スイス代表の合宿に参加し、一緒にトレーニングすることを許された。
「スイスの練習に参加できたことが競技者として覚醒する大きな転機でした」
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