知床観光船事故、社長の父が周囲に漏らした“高い保険に入っていてよかった”  船長への責任転嫁発言も【スクープその後】

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陶芸家としてデパートで個展を開いたことも

 桂田氏は、道東では数少ない進学校と位置付けられる、道立網走南ヶ丘高校に通っていた。

 当時の同級生は言う。

「真面目か不真面目かで言えば、間違いなく不真面目なタイプだった。格好も、短ランにボンタンをはいたりして。勉強の出来もよくはなかったかな」

 別の同級生もこう語る。

「彼、ウトロから網走には遠すぎて通えないので、高校生なのに下宿してたんですよ。ちょっとヤンチャなグループにも所属してました。下宿がたまり場になってたんじゃないかな」

 桂田氏は高校卒業後、茨城県内の窯業指導所で陶磁器製造を学んだという。

 知人によれば、

「彼は都内でデザインの仕事に携わり、陶芸家としてデパートで個展を開いた経験もありますよ。でも今から18年前、家業を引き継ぐために、知床に戻ってきたんです」

 以後、最果ての地での民宿に始まり、年商2億円を超す観光グループへと版図を広げた桂田氏の手腕。だが一方、急なるその成長は、いささか強引な手法の上に成り立ってもいたようだ。

多角化経営がたたって資金繰りが悪化

 遊覧船事業の運営の仕方が「明らかに常軌を逸している」と先の知人は言う。

「あの事業は、元々は海のことをよく知っている人がやっていました。けれど、桂田社長が6年前、事務所から何から丸ごと買ったんです。その際、それまで働いていた経験豊富な従業員が全員解雇され、安い賃金でスタッフを雇いなおしたんです」

 一部で報じられている通り、KAZU Iは昨年5月と6月、浅瀬に乗り上げるなどの事故を起こしている。6月の座礁事故は、行方不明となった豊田徳幸船長(54)によるものだ。

 豊田船長はこれまで長崎県島原市や栃木県日光市で水陸両用車の操縦経験があったとされる。だが、町の漁業関係者によると、

「操船技術は素人レベルだよ。港から船を出すのも難儀そうな様子でしたから。しかも、船(KAZU I)は波が穏やかな瀬戸内海仕様で、40年以上前に造船された古いものだよ」

 豊田船長にとっては仕事道具の船のみならず、職場環境も恵まれなかった。

「実はあそこは多角化経営がたたって資金繰りが悪化していて、そこへコロナでしょ。経営は相当苦しかったようです。本来、小型観光船はGWから就航するのが慣例。今年は4月29日からのはずだったのに、桂田社長が抜け駆けして6日も早めた。とにかく稼ぐ必要があったんでしょう。不幸だったのはその結果、他の船が助けに行けなかったことです」(同)

 事故当時、同業他社の船が海上を往来していたら、救援に向かうこともできたはずだというのである。

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