知床観光船事故、社長の父が周囲に漏らした“高い保険に入っていてよかった” 船長への責任転嫁発言も【スクープその後】
叫びにも似たSOSが
出航後、全長12メートル、重さ19トンと小型船の部類に入るKAZU Iは、3メートルの高波にもまれながらも半島の沖合を北上、知床岬の突端にたどり着いたものと思われる。
事態が急変したのは舳先(へさき)を南に向けてウトロ港へと戻る復路、3分の1にさしかかったころだ。本来ならウトロ港へ戻っているはずの午後1時13分、無線で異変を察知した同業他社が「118番」の救助を要請。その5分後にはKAZU Iからも、
「カシュニ滝のすぐそばで、船首が浸水している。エンジンも使えない」
という叫びにも似たSOSが発せられたのである。
以後、船体が沈没するまで、そう時間は要さなかっただろう。午後4時半、海保機が現場上空に到着した時には船影もなく、乗客、乗員合わせて26名は摂氏0度をわずかに上回る海へ投げ出された後だった。中には7歳の男児と3歳の女児も含まれていた。
事故直前の社長との会話
水難事故の調査を行う専門家の話。
「一般論ですが、人間が水温5度以下の水中で耐えられるのは1時間が限界」
ライフジャケットの装着が義務付けられていたとはいえ、セーターにコートなど真冬の装いだったはずの乗客らが水に浸かれば、どうなるかは目に見えている。
死亡が確認されたのは4月28日時点で14名。残り12人も、
「生存は絶望的です」(同)
かくて安全運航の責任が問われることになった「知床遊覧船」。トップは桂田精一社長という。58歳。地元斜里町に代々伝わる家の出である。
「奥さんは社長より20歳くらい若くてね、少し前に出産しているんです」
とは、桂田氏が暮らす斜里町の住民。
「で、事故があった日、たまたま社長と会ってあいさつしたんです。そしたら“今日、退院しました”って嬉しそうにしていて。今思い返すと、あれはまだ事故の起こる前、そうね、直前のことだったから、平気なふうだったんですね」
近所の人に「社長」と呼ばれることからわかる通り、桂田氏は経営者として知られた存在。先代から受け継いだ民宿がまずあり、そこを足がかりに知床半島に観光ホテル3軒、ゲストハウス1軒、アパート2棟、さらに観光船会社を持つまでに。年商は全体で2億円超。なかなかのヤリ手である。
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