桑田佳祐は三波春夫になりきって抗議殺到、長渕剛はベルリンからタコ発言…NHK紅白「6つのトラブル」の真実
1985年(第35回)「ミソラ事件はなぜ修正が効かなかったのか」
大トリはこの年で引退することになっていた都はるみ(74)で、「夫婦坂」を歌った。
直後に観客席から悲鳴のような歓声が上がると、白組司会者の鈴木健二アナ(93)が「私に1分間時間をください」と言い、都にもう1曲歌ってくれるよう頼んだ。これに都が応じ、アンコール曲「好きになった人」を熱唱した。
それも終わると、再び大きな歓声と拍手。その時、総合司会だった故・生方恵一さんが「もっともっと、沢山の拍手を、美空…」と口走ってしまった。「都はるみ」と「美空ひばり」を言い間違えた。
ベテランで3度目の総合司会だった生方さんらしからぬミスだったが、間違いは誰にだってある。むしろNHK内での関心事は「どうして生方さんほどの人がリカバリィできなかったのか」(元紅白スタッフ)という点にあった。
例えば「美空…ひばりさんと同じく日本歌謡界を支えた都はるみさん」といった修正を生方さんは簡単にやってのけられる人だった。
生方さんは都と個人的にも親しかった。「はるみちゃん」と呼べる間柄だった。そのために感極まってしまったのか。
翌1985年、生方さんは定年まで8年残してNHKを退職。フリーになった。同局の去り際は寂しかった。
ただし、都との親しい付き合いはずっと長く続いた。
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