山本コウタローさん、「『走れコウタロー』『岬めぐり』とたった2曲で50年」で笑わせる話術の妙【2022年墓碑銘】
満ちては引く潮のように、新型コロナウイルスが流行の波を繰り返した2022年。今年も数多くの著名な役者、経営者、アーティストたちがこの世を去った。「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」では、旅立った方々が歩んだ人生の歓喜の瞬間はもちろん、困難に見舞われた時期まで余すことなく描いてきた。その波乱に満ちた人生を改めて振り返ることで、故人をしのびたい。
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1970年、バンド「ソルティー・シュガー」による「走れコウタロー」は競馬実況風の軽快さで大ヒット。今も親しまれる名曲だ。
このバンドの一員が、山本コウタローさん(本名・山本厚太郎)。練習に遅れてくる彼に向かって仲間が「走れ走れ コウタロー」と歌ったのが曲の原型だ。
当時、山本さんは一橋大学に在学中。都立日比谷高校時代の音楽仲間と結成した「ソルティー・シュガー」は69年にレコードデビュー。「走れコウタロー」の作詞作曲を手がけた東京大学在学中のメンバー、池田謙吉さんは、レコードの発売を前に就寝中に急逝する。
遺された山本さん、手塚通夫さん、高橋隆さんは志を継ぐと決意。元メンバーの佐藤敏夫さんも呼び戻す。
池田さんの親友で、後に「ソルティー・シュガー」のマネージャーを務めた、黒河内孝一さんは振り返る。
「芸能事務所から続々と誘いが来たのに、同じく学生の私に手伝ってほしいと頼んできました。私の家とレコード会社のビクターが連絡先となり、私の最大の役目は仕事を断ることでした。大ヒットしたのに皆、育ちが良いせいか、欲がない。浮かれもせず、お金でもめたこともありません」
70年末には日本レコード大賞新人賞を受賞。それでも予定通り、翌71年に解散。
「コウタローはひょうひょうとして裏表がない。心も温かい。池田君が作った曲のおかげで人気が出たんだ、といつも真顔で言う。解散後も連絡を取り合い、池田君の命日には墓参りで皆、集まっていました」(黒河内さん)
話の面白さに着目
48年、東京都千代田区生まれ。東大を目指すが、大学紛争で69年の東大入試は中止された。
「ソルティー・シュガー」解散後も芸能界に残った。TBSラジオが話の面白さに着目、71年に人気深夜番組「パック・イン・ミュージック」のDJに起用した。多忙な中で大学を卒業、さらに74年、森一美さん、板垣秀雄さんと「山本コウタローとウィークエンド」を結成。作曲も手がけた「岬めぐり」が大きな反響を呼ぶ。
音楽評論家で尚美学園大学副学長の富澤一誠さんは思い返す。
「“岬めぐりの バスは走る”というサビの部分の歌詞が、自分のあたためていたメロディーとぴったりとはまった、と山本さんは驚きを話してくれました」
75年に映画評論家の吉田真由美さんと事実婚。ふたりして「独立した個人であり続けたい」などと語り、先鋭的なその言辞にけげんな顔をする人も少なくなかった。しかし、山本さんは注目の人だ。87年には「午後は○○おもいッきりテレビ」の初代司会者に選ばれてもいる。
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