日本列島改造から50年 「鉄道整備」に注力した田中角栄の慧眼と3人の鉄道人

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新幹線の力を見抜いていた田中

 国鉄総裁の十河信二は東海道新幹線の立役者とされるが、そのネックは建設資金だった。新幹線は事前の調査費だけでも莫大な金額を費消した。着工するには、資金面でメドをつけなければならない。

 しかし、当時の日本では少しずつマイカーが普及していた。その一方で、鉄道は斜陽化しているとの見方が強かった。そうした逆風下にある鉄道に金をかけることはできない――そんな空気が永田町では支配的だった。

 佐藤は新幹線プロジェクトを達成させるべく、「新幹線の建設計画は長期間におよぶため、一内閣で完結しない。政局に左右されないためにも、世界銀行から融資を受ける方がいい」と十河にアドバイスしている。

 助言を受けた十河は、世界銀行から8000万ドル(当時のレートで約288億円)の融資を受けることに成功。資金調達という最大の難関を突破したことで、東海道新幹線は実現へと走り始めた。

 これは新幹線開業に政治力が作用していたことを窺わせるエピソードだが、以降は全国各地に新幹線網は拡大していく。新幹線網を全国へと拡大させる計画は東海道新幹線の開業前から練られており、どの地域に新幹線を整備するのかといったことや優先順位を決めていたのが田中だったといわれる。

 まだ東海道新幹線が開業前だったにもかかわらず、田中が新幹線の力を見抜いていたことになる。それは、おそらく長岡鉄道の再建時の経験から自然に会得していったのだろう。

 日本全土に新幹線網を築き上げていった田中は、他方でローカル線の赤字問題にも敏感だった。鉄道を損得勘定のみで割り切ることはせず、「採算とは別に大きな使命を持っている」「赤字ローカル線を廃止することは、赤字額以上の国家的損失につながる」と主張していた。

 今年は鉄道が開業してから150年、日本列島改造から50年の節目にあたる。そんな記念すべき年に、JR各社が各路線の収支を公表し、慢性的な赤字であることを世間に訴えた。これが、赤字路線の廃止やむなしのムードを後押しすることにつながっている。

 長い鉄道史から見れば、列島改造に日本が熱狂した期間はわずかでしかない。50年という歳月で角栄ブームは遠くなり、鉄道が内包する地域開発の役割も薄れつつある。

小川裕夫/フリーランスライター

デイリー新潮編集部

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