今年解体された「中銀カプセルタワービル」 海外から「なぜ日本は世界的に有名な建物を守らないのか」と叱る声

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カプセルタワー誕生のきっかけ「大阪万博」に“里帰り”を

 保存・再生プロジェクトの前田氏は、「フランス、ドイツ、イタリアの方に“なぜこれほど世界的に有名で象徴的な建物を日本は守らないのか”とよく叱られました」と苦笑いしながら、日本に残る再生カプセルについてこう語った。

「最近、建築で町おこしする地域が増えてきました。黒川さんたちの師匠である丹下健三さんや菊竹さんの建築でそういうことがあるなら、再生したカプセルも展示したい。そして2025年の大阪万博には是非持って行きたいです」

 実は前回、1970年の大阪万博こそ、中銀カプセルタワービル誕生のきっかけだった。

「岡本太郎さんの“太陽の塔”があったお祭り広場に、丹下健三研究室が設計した大屋根がかかっていました。そこに吊るされて展示されていたのが黒川さん設計の『空中テーマ館住宅カプセル』です。これを見た中銀グループの創業者・渡辺酉蔵氏が黒川さんにカプセルタワービルの設計を依頼したんです」

 アンビルドに終わることが多いアーバニズム建築のアイデアが実現したのは、1970年の大阪万博が黒川氏と渡辺氏をつないだからだった。

 すでにカプセルタワービルは無くなったが、次の大阪万博でひとつの“レジェンド物件”として再生カプセルが“里帰り”すれば、世界中の建築家、建築ファンの胸を熱くさせることになりそうだ。

華川富士也(かがわ・ふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。1970年生まれ。昨年、長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。今年からフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町ネタ、昭和ネタなどを得意とする。過去にはシリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。

デイリー新潮編集部

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