敗れてなおMVPに輝いたオリバー・カーン なぜ遅咲きの彼が歴史的なGKになれたのか(小林信也)

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競技場の外で

 どこで決勝を見ようか? ブラジルとドイツの決戦を前に、私は思案した。取材証も入場券も手配していなかった。スポーツライターとして、日本で行われる史上初の、そして次はいつかわからないW杯決勝をテレビで見るのは物足りない。

 かつて見た94年W杯アメリカ大会、ローズボウル競技場の外で試合を楽しむブラジル人たちの姿が浮かんだ。彼らはきっと今夜も横浜に集まるに違いない。とにかく、決戦の舞台・横浜国際総合競技場に向かった。

 チケットを持つ幸運な観客たちが入場口に並ぶ姿を横目に、競技場の外周を歩いた。厳重な警備で、敷地の中には入れない。競技場のナイター照明が上空を明るく照らし出す風景を遠くに眺める距離で、私はしばらく周りをさまよった。

 やがて歓声が聞こえた。決勝戦が始まったようだ。明るいスタジアムを空しく外から見つめるだけでW杯決勝は終わるのか……。何だか惨めで、足取りが重くなった。ところが、突然、賑やかな一群が目の前に現れた。まさか、こんな所に集まっていたのか……。土手下のような小さな場所に、大勢の人々がひしめき合っていた。大群衆が、踊り、歌い、満面の笑みを浮かべて陽気に騒いでいる。それはブラジル人たちの集団だった。千人は優に超えている。チケットを持たないブラジル人たちが、スタジアムの熱気に手が届きそうなその場所に集まって、母国の勝利を願っているのだ。

 目の前にいた若い女性に聞くと、それぞれが群馬や静岡や、日本の各地で働くブラジル人たちだった。

 日本に住む彼らは、ブラジルが戦う決勝戦を共に集まって応援しないわけにいかない、それが彼らにとってのW杯なのだ。ふと、彼らにこそ優先的にチケットを渡す方法はなかったのか、と思った。だが、それを気にする様子もなく、彼らは試合の見えない競技場の外で幸せそうに踊っていた。

 傍らにある古い大衆食堂の軒先に、テレビが1台置かれていた。小さすぎて画面の中のボールも展開も見えない。それでも大群衆は、誰かの叫びに反応し、一喜一憂を繰り返した。

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