「サッカーW杯の快挙」が「野球界の喉元」に突き付けたもの 「野球界」はサッカーに学び、変革できるか

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みんなで日本代表を育てている

 私は、サッカー日本代表がドイツ、スペインを破って成果を上げた今だからこそ、野球もサッカーに学び、変わるべき方向性を見出す絶好のチャンスだと期待する。ただ残念ながら、古い野球人たちの中にはサッカーへの対抗心、敵愾心のようなものが根強くあり、それが「変わろうとしない」一因でもある。NPBの中心人物たちが、「サッカーの真似をしてたまるか」「先にサッカー界がやったことを野球はやらない」と発言する逸話をしばしば耳にする。正直、私もそんな野球側のひとりだったから、その気持ちは悲しいけれど、よくわかる。さすがに私は自分の了見の狭さを恥じ、反省した。が、今も、意地を張り続けている野球人は少なくない。

 最後に、サッカー取材で聞いた、忘れられない言葉を紹介したい。大田区のジュニア・チームの取材中、エース選手が横浜F・マリノスのトライアウトに合格し、移籍が決まったと聞かされた。野球界なら、格上チームに選手を盗られる、チクショー……、という感覚だ。ところが、そのコーチは言った。「よかった、あの子はウチのチームではもう学ぶことがない」。何と対極で清々しい発想ができるものか。不思議に思って尋ねると彼は答えた。

「サッカーの指導者は、みんなで日本代表を育てている意識を持っていると思います」

主体的な選択権ゼロ

 それは野球界にはない発想だと感じた。少年野球から中学、高校、大学、社会人野球に至るまで、日本の野球指導者は自分のチームの勝利を第一に考えている。だから選手を抱え込みたがる。たとえ飼い殺しにしても、他のチームに行かれるよりマシだと考える指導者が少なくない。常に日本代表を念頭において選手の才能に寄り添っている監督・コーチはどれほどいるだろう。

 プロ野球も同じだ。先日、選手会の長年の要望が通って、「現役ドラフト」が実施された。出場機会に恵まれない選手に新しいチャンスを与えようとする主旨だ。が、相変わらずリストアップするのも球団なら、選ぶのも球団。選手には一切、主体的な選択権はない。フリーエージェントになる以外、選手には移籍の自由もない。そんなプロ野球が今後も「憧れの職業」でありえるだろうか?

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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