モドリッチ37歳、メッシ35歳…“高齢”でも超一流のプレーを続けられるのはなぜか

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 ディエゴ・マラドーナがメキシコのアステカ・スタジアムでワールドカップを掲げてから36年、「神の子」リオネル・メッシ率いるアルゼンチンがカタールW杯で3度目の世界制覇を達成した。

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 メッシが初めてW杯に出場したのは2006年ドイツ大会のグループリーグ第2戦、セルビア・モンテネグロ戦の後半30分からだった。

 当時まだ18歳の若者は、3分後にはエルナン・クレスポのゴールをアシスト。さらに終了2分前にはW杯初ゴールを決めて6-0のゴールラッシュを締めくくった。まさに衝撃的なW杯デビューだった。

 以来、10年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯、18年ロシアW杯と出場を重ね、10代、20代、そして30代の各年代でゴールを決めた唯一の選手となる。記録はそれだけではない。

 今大会では7ゴールを奪った。本来なら得点王になってもおかしくない数字だが、“ゴールデンブーツ(得点王)”は8ゴールのキリアン・エムバペ(仏)に譲った。

 しかし、W杯通算ゴール数を13に伸ばして「王様」ペレ(ブラジル)を抜き、ジュスト・フォンテーヌ(仏)と並ぶ歴代4位にランクインした。

 もちろんアルゼンチン代表としても、ガブリエル・バティストゥータの持つ最多記録(10点)を更新したのは言うまでもない。

 さらに、5大会出場で優勝1回、準優勝1回、ベスト8が2回(残りはラウンド16)という成績から、通算出場試合数もローター・マテウス(独=82年スペインW杯から98年フランスW杯まで5大会出場)を抜いて歴代最多の26を記録した。

メッシの激情

 86年のメキシコW杯は「マラドーナの大会」と言われた。カタールW杯はマラドーナ同様、「メッシの、メッシによる、メッシのための大会」として人々に記憶されることになるだろう。“ゴールデンボール(大会最優秀選手賞/MVP)”を獲得したのも当然と言える。

 今大会のメッシは、彼にしては珍しい一面を見せた。まずは準々決勝のオランダ戦である。一時は2-0とリードしながら同点に追いつかれ、PK戦で辛くも4-3と振り切った試合だ。

 元々アルゼンチンとオランダはW杯で“因縁”のある相手であり“犬猿の仲”でもある。この試合でメッシは珍しく感情を露わにして相手選手を“口撃”し、挑発した。

 普段、物静かなメッシからは考えられない行動でもあった。と同時に、その激情の苛烈さはマラドーナを彷彿とさせた。

 キャプテンの闘争心がチームに火をつけたのは想像に難くない。このオランダ戦の勝利で、アルゼンチンの結束力はさらに強固なものになったはずだ。「メッシと一緒にW杯で優勝したい」と。

 もう一つ、メッシが変わったことがある。フランスとの決勝戦でのプレーである。

 それまでのアルゼンチンは、メッシを右サイドにワイドに張らせて、攻撃に専念させることをチームのコンセプトとしてきた。前線での守備は22歳のフリアン・アルバレスらが担当した。

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