“拘禁症”残る袴田巖さんと3人の裁判官が異例の面会 姉のひで子さんは「わかったふりをして…」

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捏造を指摘できるか

 2014年に再審開始を決めた静岡地裁の村山浩昭裁判長の決定文にはこうある。

〈袴田は、捜査機関によりねつ造された疑いのある重要な証拠によって有罪とされ、極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた。無罪の蓋然性が相当程度あることが明らかになった現在、これ以上、袴田に対する拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する状況にある〉

 冤罪事件で裁判官が「捏造」という言葉を使うのは異例だ。ひで子さんは「私も捏造だとかでっち上げだなんて言わないようにしていました。ところが、村山裁判長が捏造とはっきり言ったもんだから驚きましたね」と振り返っている。

「5点の衣類」を放り込んだ捏造者とて、日が経てば血痕が黒ずむことぐらいわかる。不自然と見られるリスクを冒しても、赤みが残ったままで衣類を放り込んだのは、黒っぽければ発見者は血痕とは思わず、捨ててしまうかもしれないからだ。当初の弁護団が「捜査機関の捏造」の方向で戦わなかったせいで、これほどシンプルなことが見逃されたまま半世紀が経ってしまった。

 12月5日に角替弁護士が「裁判官の勇気」を強調したのは、大善裁判長が「5点の衣類」の色の変化の吟味から発見直前に入れられた可能性を示して再審開始を決定することは、まさに捜査機関の捏造を示唆することに他ならないからである。

 最終意見書の末尾に「袴田巖さんの無実の叫びを聞いてください」として収監中の巖さんの1983(昭和58)年2月の日記が付記されている。世がバブル経済に向かっていた頃だ。

〈息子よ、どうか直ぐ清く勇気ある人間に育つように。

 すべて恐れることはない、そしてお前の友だちからお前のお父さんはどうしているのだと聞かれたら、こう答えるが良い。

 僕の父は不当な鉄鎖と対決しているのだ。古く野蛮な思惑を押し通そうとする、この時代を象徴する古ぼけた鉄鎖と対決しながら、たくさんの悪魔が死んでいった、その場所で(正義の偉大さを具現しながら)不当の鉄鎖を打ち砕く時まで闘うのだ。

 息子よ、お前が正しいことに力を注ぎ、苦労の多く冷たい社会を反面教師として生きていれば、遠くない将来にきっとチャンは、懐かしいお前の所に健康な姿で帰っていくであろう。

 そして必ず証明してあげよう。お前のチャンは決して人を殺していないし、一番それをよく知っているのが警察であって、一番申し訳なく思っているのが裁判官であることを。

 チャンはこの鉄鎖を断ち切ってお前の居るところに帰っていくよ。〉

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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