“拘禁症”残る袴田巖さんと3人の裁判官が異例の面会 姉のひで子さんは「わかったふりをして…」
12月5日、第2次請求差し戻しの即時抗告審が東京高裁(大善文男裁判長)で行われ、袴田巖さん(86)が初めて3人の裁判官と面会した。「裁判官は巖に優しく接してくれましたよ」と巖さんの姉・ひで子さん(89)は笑顔を見せた。審理はすべて終了し、あとは年度内に出される再審の可否を待つだけだ。1966(昭和41)年6月に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社の専務一家4人が殺されたいわゆる「袴田事件」で、強盗殺人罪などで死刑が確定した巖さんは、現在もひで子さんと共に再審を求めて戦っている。連載27回目。【粟野仁雄/ジャーナリスト】
裁判官と初めて面会
12月5日、東京高裁の104号法廷で意見陳述した後の記者会見は、この日、初めて裁判官に会った巖さんについての質問が集中した。
ひで子さんは「巖はね、今朝、裁判官さんに会ったんですよ。昨日、私は電車で来たんですが、支援者の人(「袴田さん支援クラブ」の白井恵さん)が巖を車に乗せてきてくれました。ホテルで巖が『こんなところに寝られない。(浜松に)帰る』と言い出して靴を探すので困ったのですが、支援者の人が少し散歩に連れ出してくれました。私は寝てしまったんですが、そのうちホテルに帰ってきました」と語った。この日、ひで子さんは裁判所に行くとは知らせずに巖さんを連れてきたという。
高裁庁内に用意された部屋で裁判官3人が自己紹介すると、ひで子さんは弟に「東京高裁の裁判長さんだよ」と耳打ちした。死刑囚として拘留されたことが原因で起きた拘禁症状の影響が強く残る巖さんは、「事件はない」「誰も殺されていない」「裁判は終わった。俺は無罪になっている」「死刑は廃止だ」などと述べていたという。巖さんが「龍(たつ) の時代だ」と言うのに対し、大善裁判長は「そうですか。龍って最強ですよね」などと話を合わせたそうだ。
ひで子さんは「裁判官さんはわかったふりをして巖の話を聞いてくれていました。3人ともとても優しく接してくださいました」と喜んだ。会見で記者から「裁判という認識はあるのですか?」と訊かれると、「ないですよ」と笑った。その一方で「それでも自分が死刑囚だという認識はあるんではないかな。だから死刑反対、死刑は廃止だなどと強く言っていたようです」とも推測する。
「皆さんが励ましてほしい」
弁護団事務局長の小川秀世弁護士は「裁判官に見てもらう巖さんのメッセージを録画していたけど、面会が実現したのでビデオは提出しません」と話した。
角替清美弁護士が「巖さんはいつものお話で……」と明かしたように、意思疎通は難しかったが、裁判官が直接、巖さんに面会した意義は大きい。死刑囚の冤罪が晴らされた「免田事件」「財田川事件」「松川事件」「島田事件」でも、再審を開始させた裁判官が収監中の死刑囚に会ったという話は聞かない。第1次請求審で2014年3月に再審開始決定を出した村山浩昭裁判長(現・弁護士)は、巖さんに会おうと東京拘置所を訪れたが本人に面会拒否されている。
浜松市から駆け付けた支援者の猪野二三男さんは、「会ってくれたのは大きな意味があります。大善裁判長は、『審理を公平に進めていますよ』というメッセージを巖さんに与えようとしたのだと思います」と感慨深げだった。
当初、弁護団は浜松に面会に来てほしいと提案したが、大善裁判長は「それは無理だが来ていただければお会いします」と言ったという。角替弁護士は「刑事訴訟法では請求者の意見を聞かなくてはならないとありますが、必ず対面しなくてはいけないということではなく、書面などでも構いません。それでも会ってくれました」と喜び、記者たちに「再審開始決定を出すのは、裁判官にとってものすごく勇気のいることなんです。ぜひ皆さんが励ましてほしい」と訴えた。
同じく村崎修弁護士も「会社(新聞社など)の記事ではなく、皆さんがぜひ個人としての正義感から記事を書いてください」と要望した。
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