柳生博さん、遅咲きの人気俳優はなぜ「八ヶ岳」に移住したか【2022年墓碑銘】

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凝り性

 10年以上をかけ雑木林が形になると、見学者が勝手にやってきた。山火事でも起きては大変と、一部を89年に「八ヶ岳倶楽部」としてオープン。商売っ気がなく芸能人の店とは一線を画した。そこはやがて年間10万人が訪れる地になった。

「いつも通り木の手入れをしてお客さんとごく普通に話していた。工芸品などを展示する場も作って芸術家の応援もした」(秋山さん)

 長男の真吾さんは園芸家になり父の片腕だった。だが、咽頭がんのため2015年に47歳で先立つ。次男の宗助さんが志を受け継いだ。

 19年、テレビドラマ「やすらぎの刻~道」に出演。

 脚本を手がけた倉本聰さんは言う。

「昔から凝り性で、役の気持ちをよく考える人です。ロケハンに出かけた時、この辺に住んでいるはずだと訪ねてみた。80歳を過ぎているのに、木か屋根の上で働いていて、降りてきた。ワインを出してくれて話をした時、出演を頼みました。癖のある役ですが、願った通りの出来でした。役者の感覚もずっと保っていた」

 昨秋から体調を崩しがちになり、4月16日、老衰のため85歳で逝去。

 確かな未来は懐かしい風景のなかにあると語っていた。SDGs(持続可能な開発目標)が声高に唱えられるが、柳生さんは自然と人間がうまく折り合いをつけて共に生きていくことを、雑木林を通じて40年以上にわたり実践した。

デイリー新潮編集部

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