柳生博さん、遅咲きの人気俳優はなぜ「八ヶ岳」に移住したか【2022年墓碑銘】
満ちては引く潮のように、新型コロナウイルスが流行の波を繰り返した2022年。今年も数多くの著名な役者、経営者、アーティストたちがこの世を去った。「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」では、旅立った方々が歩んだ人生の歓喜の瞬間はもちろん、困難に見舞われた時期まで余すことなく描いてきた。その波乱に満ちた人生を改めて振り返ることで、故人をしのびたい。
***
【写真】2022年になくなった著名人をしのぶ 松原千明、オリビア・ニュートンジョン、西村賢太、宝田明、古谷一行…【追悼写真特集】
俳優の柳生博さんの穏やかな表情はすぐ目に浮かぶ。自然保護活動に熱心なことで知られたが、スケールが違った。1970年代末、山梨県大泉村(現・北杜市)の八ヶ岳山麓で、手入れされずに荒れたアカマツの人工林を約1500坪も購入。光と風の通りが悪く、生きものの成育が難しい状態を地道に元の姿に戻したのだ。
人工林を伐採してまきに活用。もともとこの地に生えていたであろう種類の木を移植し、少しずつ雑木林をよみがえらせた。柳生さんが植えた木は1万本を超える。
地元の親友、秋山九一さんは振り返る。
「有名な俳優さんがどうするんだろうと最初は思ったよ。でも、土まみれになることが本当に好きだとわかった。同世代で仲良くなり、地元の人たちにも溶け込んだ。苗木を植えるのではなく、近くの山の持ち主を訪ねて、あの木を譲ってくれないかと直接相談していた。私らにとっては雑木なのに律義だった。仕事を終えて現れて、夜中になろうが木を移植する穴を掘っていた」
当初は警察に不審がられたという。
「家を建てる時も別荘の発想ではなかった。自然に対して失礼にならない家にしたいというのです。解体する古い家の木材をもらって作り、200年以上使った柱も生かした」(秋山さん)
年間600本
1937年、茨城県生まれ。剣豪、柳生一族の傍系にあたる地主の家だった。
商船大学(現・東京海洋大学)へ進むが、視力が落ちて当時の基準では船員になるのが困難に。一転、役者を志し、俳優座の養成所に入所。3歳年下の妻の二階堂有希子さんは養成所の同期である。結婚の仲人は、女優の小山明子さん、映画監督の大島渚さん夫妻だ。
小山さんは思い出す。
「結婚した頃は二階堂さんの方が仕事が多かった。でも気にせず、のびのびとして仲の良いふたりでした」
61年、今井正監督の「あれが港の灯だ」で映画デビュー。77年のNHK連続テレビ小説「いちばん星」で演じた詩人、野口雨情役で一躍人気者に。時に40歳と遅咲きだ。仕事が激増し、年間600本以上のテレビ番組に出演。だが、悪役やラブシーンを演じると子供がひどいいじめに遭うようになる。そもそも八ヶ岳に向かったのは家族一緒に自然のなかで過ごすためだった。
「長男が小学生の時にチェーンソーを使わせていた。子供扱いせず、きちんと教えていた」(秋山さん)
[1/2ページ]