パリ人肉事件「佐川一政氏」、実弟が明かす「入院中に看護師の手にかみついたことも」【2022年墓碑銘】

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職にも就けず転居を

 精神鑑定の結果、心神喪失状態だったとして不起訴処分となり、84年に日本に送還される。東京都内にある精神科専門の病院に入院するが、翌85年に退院。その後、刑事的責任を何ら問われることはなかった。小説の体裁を取りながら事件の記憶を克明に著した『霧の中』は大反響を呼んだ。

 幼い頃からのカニバリズムの欲望を成し遂げなければという思いに至り、人を食べるためには殺すしかないと犯行に及んだという。

 心の内面はともあれ、世間の目は当然厳しい。職にも就けず転居を繰り返した。

 状況が急に好転したのは、89年、幼女誘拐殺人事件で宮崎勤が逮捕されてからだ。猟奇事件の評論家としてテレビに呼ばれ、雑誌への執筆、講演依頼まで舞い込む。

「またもや白人の女性との交際が報じられた時、事件を考えればとんでもない、と両親は怒っていた」(純氏)

 すでにある佐川一政像に沿った仕事ばかりだと感じながらも、期待に応える。一方で、支持してくれる人々ともめてけんか別れすることも多かった。

「事件以外の自分も見てほしい、このままではいたくないという無念さもあった。本を著すなど表現活動が生きがいでした」(純氏)

本心だったのでは

 事件で生活が激変しても一政氏を支え続けた父親が2005年に90歳で他界。翌日、母親も81歳で亡くなる。

 13年、脳梗塞で倒れ、翌年から純氏が介護にあたる。15年には海外の映像作家が来日し、一政氏らを取材、映画「カニバ/パリ人肉事件38年目の真実」として日本では19年に公開された。

「撮影した15年はまだ会話ができました。事件の様子を兄が以前描いた絵で説明しようとするので、私が止めに入っています。遺族の方々への配慮がない様子はとても気になった」(純氏)

 寝たきりになり、入院。近年は文字や絵を書くことも読書も困難になっていた。

「兄の好きな相撲中継やドラマ『相棒』を録画して、見舞いの時に持って行きました。夏目漱石や森鴎外の名作を聴く朗読CDも気に入っていた」(純氏)

 11月24日、肺炎のため73歳で逝去。生涯結婚せず、帰国後、事件とも無縁だ。

「胃ろうを造り、口から食べられなくなった後も、看護師さんの手にかみついたことがある。今でも女性を食べたいと思うかと問われると“思う”といつも答えていました。記者へのサービスではなく本心だったのではないでしょうか」(純氏)

デイリー新潮編集部

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