パリ人肉事件「佐川一政氏」、実弟が明かす「入院中に看護師の手にかみついたことも」【2022年墓碑銘】

国内 社会

  • ブックマーク

 満ちては引く潮のように、新型コロナウイルスが流行の波を繰り返した2022年。今年も数多くの著名な役者、経営者、アーティストたちがこの世を去った。「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」では、旅立った方々が歩んだ人生の歓喜の瞬間はもちろん、困難に見舞われた時期まで余すことなく描いてきた。その波乱に満ちた人生を改めて振り返ることで、故人をしのびたい。

 ***

 パリ人肉事件──。その猟奇性は世界を震撼(しんかん)させた。

 1981年、パリに留学していた佐川一政氏は、オランダ人留学生の女性を語学の勉強を理由に自宅に招き、射殺。肉体を切り分け、尻や太もも、乳房などを生のままで、またはフライパンで焼いて食べてしまう。スーツケースに詰めた亡きがらを捨てる姿が目撃されて捕まり、犯行を自供。冷蔵庫には肉が残っていた。

 49年、神戸市生まれ。体重約1500グラムの未熟児だった。体調を気遣い小学校入学を1年遅らせたため、弟の純氏と同学年になる。

 純氏は回想する。

「兄も私も絵が好きで習っていました。人の肉を食べてみたい思いは子供の頃からあった、と事件の後に兄は話していますが、仲良しでも全く気付かなかった」

 和光大学人文学部に進学。一方、弟は慶應義塾大学に。

「兄は大の読書家で小学生でトルストイの『戦争と平和』を読んでいた。体が弱く、小柄なことでからかわれてはいけないとものすごく努力した。ひとつのことに向かって集中できた。ただ、私に対するやっかみには困りました。私がたまたま兄をたしなめるような口ぶりをした時、突然激怒して私の大切な楽器を壊してしまったこともある」(純氏)

 関西学院大学の大学院を修了後、77年パリに留学。日本の大学で講師の職が内定していたのに、再びパリで博士課程に戻った81年に事件を起こした。時に32歳。

次ページ:職にも就けず転居を

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。