職人技と機械を組み合わせ究極の手術器具を作る――高山隆志(高山医療機械製作所代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】
ムラマサスペシャル
佐藤 社長になられたのはいつですか。
高山 1999年、34歳の時です。父が突然、辞めると言い出した。
佐藤 何か理由があったのですか。
高山 どうでしょう、よくわからない人なんですよ(笑)。父からは野放し状態で、経営について教えられたことはないですね。技術についてなら、こうやるとやり易いとか、こういうやり方もあるといった話はしましたけども。
佐藤 生粋の職人だった。
高山 根を詰めて1本すごくいいものを仕上げるのは得意なんです。ただ30本の注文が来ると、途端に嫌になってしまう。だからよく納期遅れがありました。
佐藤 会社の状態はどうでしたか。
高山 年商3千万円ほどで、社員は3人。約600万円の累積赤字がありましたね。
佐藤 それがいまでは売り上げ5億5千万円、社員32名で、世界に名前が轟いている。
高山 それはやはり「上山式マイクロ剪刀ムラマサスペシャル」ができたことが大きいですね。
佐藤 世界中の脳外科医が使っているハサミですね。
高山 もとは、1982年に札幌禎心会病院の脳外科医、上山博康先生と父で作ったものです。人間の目の奥に左右の脳をつなぐ前交通動脈があります。そこにある動脈瘤を取る際、通常は左右からメスを入れるところ、上山先生のグループは頭頂部の大脳半球間裂から入れていくんです。でも組織的に脆弱な部分なので、極端に薄くてよく切れるハサミが必要でした。
佐藤 そのハサミは先端が薙刀(なぎなた)状になっているそうですね。
高山 上山先生は、手術のため自らハサミを削るような人ですが、ある時、奥様が庭木を剪定しているハサミを見て、その側弯形状、つまり薙刀みたいな形にすればいいんじゃないかと思いついた。それで父に先端が薙刀状のハサミを頼んだんです。
佐藤 それを高山さんの代で改良されたのはどうしてですか。
高山 上山先生から「2回目は切れなくなる」とクレームが入っていたんですね。さらに納期も遅いから、サプライヤーを変えると言われた。
佐藤 それは一大事ですね。
高山 父は「いままで食わしてもらったんだから、もういいんじゃないか」なんて言っていましたが、ダメ元で材料を新しくして、日本刀の「折り返し鍛錬」という技術を参考に焼き入れも変え、半年くらいかけて自分なりに試作品を作ってみたんです。それを上山先生に見せたら、先生は指に生えている毛に刃を当ててフッと切り、「これは切れる。じゃあ使ってみる」と言ってくれました。病院のある北海道まで行ってわずか5分、そのやりとりだけで帰ってきた(笑)。
佐藤 大きさはどのくらいですか。
高山 刃渡り12ミリ、刃先の厚みが0.08ミリです。その後、先生がオペで使ったらうまくいって、「これはムラマサという名前にしよう」と連絡がきた。いまじゃそんな大層な名前をつけるんじゃなかった、と言っていますが(笑)。
佐藤 先ほど指の毛に当てて、と言われましたが、当てるだけで切れるのですね。
高山 はい。挟んで切るのではなく、押して切り、かつその毛がハサミに乗ったままにならないとダメです。
佐藤 ものすごい切れ味ですね。
高山 脳の血管のバイパス手術をすると糸屑が出ます。それを切ったハサミに乗せて体外に出せるようにしないといけない。糸は医療用で安全ではあるのですが、執刀医は不要な異物は体内に残さないのです。
佐藤 完成したのはいつですか。
高山 2000年です。その後、先生からは「これも作れ、あれも作れ」とさまざまな器具の注文がきました。いまでは50種類くらいになりましたが、最初は作って持っていくと、すぐ突き返されるんですね。それが2、3回続いた時、やっぱり使う現場を見ないとわからないと思って、手術を見せてほしいとお願いしました。「オペ立ち」と言いますが、それが2003年からです。現場では先生たちがものすごい熱量で手術をしているんですね。それを見たら、巻き込まれてしまって、自分の技術を何とか役立てようと思うようになりましたね。
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