娘を迎えに行って目撃した妻の裏切り…44歳夫が始めた“禁断の復讐”で今も悩み続けるワケ

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遠距離恋愛を経て…

 その後の飲み会で、彼女はひたすら謝り続けた。周りは「勝手にドキドキしたんだろ」と康晴さんをからかうのだが、怜子さんは本気で申し訳ないと思っているようだった。

「僕も調子に乗って、それじゃあ、1回だけデートにつきあってもらおうかなあとわざわざ冗談のようにみんなの前で言ったんですよ。そうしたら怜子が『それでいいの?』と」

 棚ぼたのように落ちてきたデートのチャンスだった。彼は怜子さんや周囲には余裕の笑みで応じていたが、内心は心臓が口から飛び出しそうだったという。

「それからデートコースを必死で考え、彼女の都合に合わせて日時を決めて。仕事には目もくれず、彼女とのことばかり考えていました」

 そして初めてのデート。彼女がボウリングを教えてほしいというので、一緒に行った。「あのときはびっくりして緊張しちゃったんだ」と、怜子さんが手を重ねてきたときのことを言うと、彼女は「本気で応援してたのに」と茶目っ気たっぷりに笑った。

 その後は街なかを散歩して、おしゃれなカフェでひとやすみ。会話が得意なわけではないのに、まったく言葉が途切れることはなかった。康晴さんは彼女に自分のことを知ってほしいと思っていたのだ。

「夕食はカジュアルなイタリアンの店に行きました。下調べして自分でも行ってみて予約した。初デートなんだと店の人に伝えていたら気を利かせて、奥まったいい席をとってくれました。しかも最後にはデザートをサービスしてくれて。彼女のコーヒーにはクッキーのおまけまでついてて、イタリア人のシェフまで出てきて『彼、素敵な男性だよ』とラテンのノリで彼女に告げていました。その店はその後もふたりで通いました。あの店のおかげで僕たちはうまくいったようなものなので」

 その後、3度目のデートでつきあってほしいと告白、怜子さんから「私も同じように思っていた」と言われた。入社した年の冬、ふたりはつきあい始めた。ところが翌春、彼は関西での勤務が決定。いきなりの遠距離恋愛となった。

「それでもなんとか2年間、行ったり来たりしながらつきあいは続きました。ところがそのあと、今度は彼女のアメリカでの1年間の研修が決まった。そう、彼女はすごく優秀だったんですよ。『今までだって遠距離だったんだから、これからも大丈夫だよね』と、彼女は少し不安そうでしたが旅立っていきました。僕は彼女以外の人に目が向かない自信があったけど、彼女はモテますからね。心配でした」

 だがふたりの気持ちは変わらなかった。彼女が帰国してからは空白期間を取り戻すかのようにデートを重ねた。とはいえ、ふたりとも入社4年目、仕事がどんどんおもしろくなっていった時期。1年ほどたったとき、康晴さんは彼女にプロポーズしたが、「今、結婚する気になれない」と言われてしまう。

「確かに彼女はあるプロジェクトチームのリーダーに抜擢されたばかりで、その仕事のことしか考えられないという状態だった。間が悪かったんです」

 彼女の仕事が一段落すると、今度は彼が忙しくなるとタイミングが合わないことが続いた。それでも時間を見つけては一緒に過ごした。

「お互いに相手に何かを要求することはなくて、一緒にいる時間が楽しい。それだけでした。それまで生きてきた中で、僕がいちばん心安らかな日々を送れた時期でした」

 そしてようやく30歳を前に、結婚するタイミングが訪れたのだった。周囲からは「永すぎた春になるなよ」「変わらず仲良くね」などと声をかけてもらったという。長くつきあうと、別れたりくっついたりを繰り返すカップルは多いが、康晴さんたちは一度も別れ話が出たことがない。

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