娘を迎えに行って目撃した妻の裏切り…44歳夫が始めた“禁断の復讐”で今も悩み続けるワケ
夫の不倫を知った妻が証拠をかき集め、相手女性を特定して賠償金を請求するケースはよく聞く。そのまま夫婦関係は続くこともあるし、離婚に至ることもある。だが逆パターンはあまり聞かない。夫は妻を疑わないことが多いのと、疑ったとしても証拠を集めようとはしないのだ。真実を知りたくない、このまま知らずに平穏に暮らしたい。そんな思いが強いのかもしれない。
浮気調査を行う探偵事務所の案内をいくつかみてみても「依頼者の8割は女性」という記述が散見される。
その点で、男女問題を30年近く取材し、『不倫の恋で苦しむ男たち』などの著作があるライターの亀山早苗氏が今回取材した男性は珍しいケースといえる。彼は興信所を使って妻の行状を暴いた。裏切られたことへの腹いせか、あるいは「妻は自分の所有物だから勝手なことはさせない」と思っているのか、はたまた「これほどまでに愛していたのに」という絶望の表れか、真意は定かではないと亀山氏はいう。
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桜田康晴さん(44歳・仮名=以下同)は、今も混沌とした夫婦関係の中にいる。ときどき胸が苦しくなるのは、当時ついた心の傷が痛むせいか、妻の心情を思うせいか、気持ちの整理はついていない。
「妻をかわいそうだと思うこともあります。でも妻のせいでこうなったのも事実。あんなに好きだったのに……」
大好きだった妻の“裏切り”から、事態は思わぬ方向へと動いていった。
康晴さんが結婚したのは30歳になる直前だった。相手は同じ会社の同期だった怜子さん。入社当時から、康晴さんは怜子さんが気になっていた。
「同期入社は30人くらいでした。同期会もすぐにできてみんなけっこう仲良くしていました。最初の同期会で怜子と隣同士になって、ドキドキしました。出身地とか趣味とか、当たり障りのない会話を交わしましたが、彼女はとても感じがよかった。首都圏のごく普通のサラリーマン家庭に育ったと言っていましたが、あの明るさは僕から見ると“いい家庭”に育ったんだろうなと羨ましささえ感じましたね」
彼は地方の兼業農家の三男。彼が6歳のときに母が亡くなり、父方の祖母や近所に住む叔母たちがめんどうを見てくれた。だが、母が恋しくてたまらない夜もあった。
「6歳だから覚えているんですよ、母のことを。朝から晩まで祖父母と僕ら7人家族の食事の支度や家事をこなしながら、農作業にも駆り出されていました。あげく、祖母や父にはよく怒鳴られていた。家庭内の雰囲気はよくなかったけど、母はいつも優しかった。母に怒られた記憶はないんです。僕は甘えん坊で、夜はよく母に『抱っこ』とせがんでいた。母の死に顔も覚えています。祖母や叔母には心を開くことができなくて、自分の感情を隠す習慣ができたような気がします。そのせいで、大学時代につきあった女性がいたんですが、うまくいかなかった」
だから怜子さんにどうやってアプローチしていいか判断がつかなかった。同じ社内だから相手に不快な思いをさせてはいけないという思いが強かった。
それでも同期会を通して、少しずつ彼女のことを知っていった。
「あるときみんなでボウリングに行ったんですよ。10人ぐらい参加したかな。実は僕、かつてボウリングにはまったことがあって、少し得意なんです。その日はやたらと調子がよくて、8フレームまでずっとストライクが続いていた。同じグループだった怜子がすごく喜んでくれているのがうれしくて。9フレーム目を投げる直前、彼女がボールに指を入れようとしている僕の横に来て『がんばってね』と手を重ねてくれたんです。でもそれで調子が狂ってしまった(笑)。ピンが割れてスペアもとれなくて。10フレーム目は立ち直って全部ストライク。それを見た怜子が『私がよけいな応援をしたばかりに』と落ち込んでしまったんです」
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