村田兆治、池永正明、柴田保光…2022年に他界した野球人の記憶に残る“名場面”

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「未練がましくなりますから」

 右腕血行障害を克服し、平成初、東京ドーム初のノーヒットノーランを達成したのが、日本ハム時代の柴田保光さん(10月9日逝去、享年65歳)である。

 西武から江夏豊とのトレードで日本ハムに移籍した柴田さんは、1985、86年と2年連続二桁勝利を挙げ、先発の柱になった。

 だが、その後は右腕血行障害に悩まされ、87年に左太ももの血管を右わき下に移植する大手術を受けた。そして、速球派から制球で勝負する技巧派へとモデルチェンジ。89年に9勝を挙げ、再び先発ローテ入りした。

 翌90年4月25日の近鉄戦、柴田さんはシュートとスライダーを主体に制球重視の丁寧な投球を見せ、“いてまえ打線”を沈黙させる。5回にフルカウントからトレーバーに四球を許したものの、8回まで無安打無失点の快投だった。

 そして、「(無安打は)5回ごろから知っていたが、9回になって意識した」という柴田さんは、最終回も後関昌彦を遊ゴロ、中根仁を二飛に打ち取ったあと、最後の打者・米崎薫臣を0-2から136キロ直球で空振り三振に切って取り、史上57人目(68度目)のノーヒットノーランを達成した。

 内訳は三振8、内野ゴロ10、内野フライ5、外野フライ3。5回の四球の直後、次打者を併殺打に打ち取っているので、打者27人の「準完全試合」だった。

「僕より良い球を投げるピッチャーはいるんだし、申し訳ない気持ち」と謙虚なコメントを口にした32歳の右腕は「未練がましくなりますから」とウイニングボールを惜しげもなくスタンドに投げ入れた。

 三者三様の名場面は、これからも“伝説”として長く語り継がれることだろう。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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