安倍元首相銃撃事件を映画化した「足立正生監督」が、外国特派員協会で吠えた一部始終

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テロではなく決起

足立監督:私が一貫して表現しようと思ったのは、山上容疑者の側から日本の社会・政治状況、一般社会の中で統一教会が行っていることを、もう一回見てみるということです。それと同時に、アメリカでトランプ氏が大統領になり、日本で安倍氏が首相になった時、私は「政治の底が抜けてしまった」と思いました。

 政治が辻褄を合わせるという時代は終わり、昔で言う陰謀とか陰の策動が表面化するようになってしまった。残念な事態だけれど、トランプ氏と安倍氏がトップなら、色んな真実が暴露されるだろうという期待もあったんです。だから山上さんが安倍さんを殺したのは、「ちょっともったいない」という考えはありました。

 けれども、山上さんが想像した以上に、あるいは私たちが知らなかった部分も含め、政治の底は抜けてしまっている。保守の自民党と統一教会が癒着しているというのは、安倍さんのお祖父さんである岸信介の時代から始まっています。みんなそれを頬っ被りして、現在まで至ってきました。

 そうしたことを考え合わせると、山上さんの決起──私はテロではなく個人的な決起と呼んでいます──が招いたものは、現実社会に反映され、今も進行していると思います。その結果、安倍氏やトランプ氏がやったこと以上に、現実が無様であり、荒廃しているということを明らかにしてくれたと評価しています。

イベント版との違い

朝日新聞:国葬の直前に行われた試写会でも映画を拝見しました。当時の短いバージョンと、今回のバージョンで編集を変えたか、お伺いしたいです。同じ場面を見ても、印象が異なるのです。編集が変わったのではなく、統一教会や国葬に対する自分や日本社会の印象が変わったことが影響していると想像していますが、監督が意図されているかもしれないと思いましたので、お伺いします。

足立監督:国葬という最も怒りを燃やした対象に、映画を使って反対を表現する。国葬に対して、政治的に対峙するつもりでした。そのためイベント版では、主人公の川上が持つ、もう一つの重要なファクターは省いたのです。

 主人公の川上が事件を起こす動機は、イベント版も本編も変わっていない。一方、山上容疑者が「統一教会に母親を奪われた」と考えたことは、事件の決定的なファクターだったと考えています。

 しかしイベント版では、主人公が持つ“マザコン”の部分は全部カットしました。事件と政治の問題を、国葬反対という観点から明確にしたかったからです。

 一方、本編では、主人公が持つ根本的な問題──家族の愛とか、人間愛とか、性愛とか──を統一教会は縛り付けている。その影響を主人公も多少は受けながら、失わなかった“マザコン”が鮮明になる。これは本編のほうが強く出ていると思います。

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